映画

アス -見捨てられた者たちの逆襲、説教ホラー映画-

概要

1986年、少女アデレードは両親とともにサンタクルーズの遊園地を訪れ、1人で入り込んだミラーハウスでのある出来事によりトラウマを負ってしまう。

その後、アデレードは成長し、夫と2人の子供を得て、ある休暇を家族でサンタクルーズで過ごす。過去のトラウマが頭をもたげ、落ち着かないアデレードは夫に帰りたいと話すが、その矢先、家の敷地に謎の4つの人影が立っているのを息子が見つける。

夫は彼らに退去するよう要求するが、人影は連携の取れた動きで家に侵入、アデレードらはその4人に捕まってしまう。家のリビングで対峙するアデレードら一家と謎の4人家族。風貌が似ており、自分たちの生き写しのような彼ら。

アデレードによく似たリーダー格の女レッドは、自分はアデレードの影だと言い、辛い身の上話をした後、自分と正反対に恵まれた生活をしてきたアデレードに復讐すると宣言する。

みんなのレビュー

高評価

  • 格差問題や弱者切り捨ての社会に対する批判性が高い
  • 奇妙で不気味な雰囲気や、ブラックユーモアが楽しめる
  • さまざまな小ネタや引用が散りばめられていて、ディテールを観る楽しさがある

低評価

  • テザードや地下施設の設定に無理があり、ツッコミどころが多い
  • 敵側であるテザードの最終目的が判然とせず、どう観ていいのか不明確
  • キャラクターの行動原理が一貫しておらず、ご都合主義な展開が多い

ナニミルレビュー

ストーリーとしてのリアリティや説得力は犠牲にしつつ、シンボリックな設定や小道具、台詞回しなどで社会批判を全面に押し出した作品、という印象の映画。

観終わった感想としては、正直あまり良くはない。納得できない点が多くあり、このストーリー内の世界や出来事に説得力がなく、その結果として、ストーリーを通して描いている批判自体も嘘くさくチープに感じてしまった。

リアリティやディテールの整合性を重視して作っていないのだと理解はできても、やはり、ストーリーを通して社会批判を描くためには、ストーリー自体にも説得力(≒リアリティ)を持たせなければいけないのではないか、と思った。

つまり、観客の解釈によって批判性を立ち上がらせればよい、という、よく言えば観客を信用した、悪く言えば都合の良い観客頼りなストーリーで、個人的にはあまり上手い作りだとは思わなかった。

ぼくの見方としては、まずストーリー自体に説得力があるからこそ、それを真剣に解釈したいと思うし、そのストーリーの説得力によって、解釈された内容にも重みが出るのだと思う。それによってのみ批判の質が上がるのだと思う。

一方、この映画のようにストーリーを「批判的シンボルを乗せるための入れ物」のように作ってしまうと、「なるほど、このシンボルによってこういうものを批判しているのか」というのは頭では分かるのだけど、それはもはや言葉で説明される(=説教される)のとあまり変わらない感覚で、ストーリーに仕立てていること自体が蛇足のように感じてしまう。

まず、ストーリーでグッと心をつかんで、その上で頭で理解を促す方が、批判的なテーマを持った映画としては良質だというのが、ぼくの意見。そういう見方でいくと、やっぱりこの映画を良い映画だとは言いづらい。

なので、全体的な評価は低いのだが、鑑賞中退屈したわけではなく、ちゃんとした映画だとは思う。

特に、不穏な演出や、敵役であるテザードの不気味な存在感などはとてもすごかった。映像は全体的に凄かったので、目で楽しいことは間違いない。

また、中盤以降、想像以上に話が広がっていくスケール感の変化もワクワク感があり、ゾンビ物的な展開で新鮮さがあった。

しかし、やはりストーリーの粗が多い。

まず、あまり怖くはない。いや、最初に家を襲撃されるシーンなどは、テザードの不穏さも相まって、非常に怖かったのだけど、恐怖感に関しては、最初が一番緊張感が高く、あとはダラダラとしていき、ホラー映画としてのテンションは下がり続ける。

最初に家に侵入されるシーン、テザードのリーダー格であるレッドの指示に従ってパパっと散開。手際よく主人公家族を追い詰めていくさまを見ると「やばそうだ」という期待感が高まるのだが、その期待感はその後、家族がテザードに反撃するシーンでことごとく崩れ、「いや、こいつら弱くね?」という印象を冒頭から残してしまう。

このテザードの「弱さ」は、ストーリー後半になるほど、映画全体のリアリティを下げる原因にもなっており、「いや、銃社会かつ武装した警察もいるアメリカで、このタイプの敵にここまで圧倒されることはないのでは?」と感じずにはいられない。だって、知性もなく武器はハサミ、ゾンビのように増殖するわけでもない。何より怪我をした父が1対1で戦って2連勝している。とにかく「弱い」というのが観客が抱く素朴な印象だろう。

前述の通り、この映画はそのような「リアリティ」を追い求めた映画でないことは明らかなので、このツッコミは野暮なのだけど、でもやっぱり、ストーリーを追う観客としては、このテキトーな設定の中、緊張感を保ち真剣に事態を見続けるのは難しい。

ということで、緊張感が途切れた後は、テザードとの戦いは、作り手のメッセージ(社会批判)を描くためだけの振り付けされた嘘くさい行為であって、もはやこの戦いの顛末はわりとどうでもよくなってしまう。

また、テザードの弱さに加え、主人公家族たちの行動のずさんさも目にあまる。最初こそ家族離れ離れにならないように慎重に行動しているのに、途中から母親が1人で行動する場面が増えたり、子供から目を離しすぎだし、父親もなぜか家族に対して無責任だったり、「この危機的状況でそんな言動、普通は取らないんじゃない?」と思わずにはいられない。それらの行動も「振り付けされてる感」を強めている。

なので、キャラクターにもリアリティがなく、結果的に家族のドラマとしても薄っぺらいし、とにかく全体的に嘘くさい。

作り手は、この映画の「設定」自体に描きたい社会批判のほぼすべてを込めており、キャラクターたちはその「設定」を開陳するための道具になってしまっている。だからストーリーやキャラクターはわりとどうでもよく、これみよがしに、「場面」を見せていく映画という印象になっている。

では、その「設定」とは何か。

実は、アメリカの地下には秘密施設があり、そこには地上で暮らしている人間のクローンが生活している(ある時アメリカ政府の実験によって作られ、今は破棄され地下に閉じ込められている)。クローンらは「テザード」と呼ばれ、人格が不完全で人間らしい生活ができていない。その不公平に対する不満を抱いたレッドという知性あるテザードの導きによって、地上の人間への襲撃事件を起こすに至った。

この基本的な設定に加え、「ハンズ・アクロス・アメリカ」や「旧約聖書のエレミヤ書第11章11節」「囚人服」など、批判を補強するためのシンボルがさまざまに配置されている。が、別にストーリーに直接関わってくる話ではないので、トリビア的なもの。

この映画で、ストーリー上必要な設定はとにかく、人間のクローンがひどい環境で生活しており、そのクローンたちが反逆を起こした、ということだけだ。

つまり、「同じ人間だが違う環境」という思考実験的なテーマを、政府のクローン実験という設定で具現化し、そこに格差問題、弱者切り捨てなどの社会問題を象徴させている。

その発想自体はとてもシンプルだし、言いたいことはよく分かるのだが、やっぱり、あまり上手いメタファーになってないと思う。

まず最大の問題点。

テザードは見捨てられた弱者の象徴なのだが、このホラー映画のストーリー上では、主人公たち地上の人間を襲う「加害者」として描かれている。もちろん「お前ら(地上の人間)が見て見ぬ振りしてきた弱者による裁きだ」という意味なのは分かる。

だが、果たして地上の人間たちは、テザードたちを「見て見ぬ振り」してきたのだろうか。映画冒頭で表示される文章からも分かる通り、地上の人々はテザードのことを知らない。

「知らない」ことと「見て見ぬ振り」には大きな差がある。それこそ、ここには善と悪を分けるほどの差があるのに、この映画のストーリーは、「知らない」も「見て見ぬ振り」もいっしょくたにする。

メタファーとして、ここに最大の問題がある。つまり、この映画における人間とテザードの関係は、現実社会の強者と弱者の関係からはズレており、このズレは、現実社会の問題の焦点をぼかしてしまうズレなので、それはイコール、この映画が描いている社会批判自体をぼかしてしまっている。

次に、弱者としてのテザードの描かれ方の問題。

テザードの虐げられた苦しみが、ほぼレッドの独白(うさぎの生肉を食わされた、欲しいオモチャがもらえなかった等々)のみで語られている点が残念だ。この説明台詞が説教臭さにつながっていて、せっかく映画なのだから、もっとグッと「これはひどい・・・」と観客が思わずにはいられないような演出をしてほしい。

もちろん、地下施設に閉じ込められていたのだ、という状況からテザードの苦難を想像することはできなくはないが、そのわりには地下施設のヴィジュアルは妙に整然としていて、不気味ではあるけど悲惨さはあまり感じず、そのような観客の想像も阻んでいる。また後述するが、あるテザードはうっかり地上に出てきており、それも「閉じ込められている」という不幸な状況を薄めてしまっている。

この映画を観ても、現実の弱者の痛みは伝わってこないし想像することも難しい。強者の加害的な振る舞いも描ききれていない(ストーリー上では単に被害者に見えてしまう)。テザードと主人公家族との関係は、現実社会の弱者と強者の関係からは程遠い。

「なるほど弱者の存在を見て見ぬ振りをしてはいけないと言いたいのだな」という主張を読み取ったとしても、それはすごく表層的な説教として理解されるだけであって、感情を揺さぶられる経験としてはない。だから、最初に書いたように、「ならストーリーにしなくてもよかったのでは」と思ってしまうのだ。

(以下ネタバレ含む)

さんざん悪口を言ってきたけれど、ひとつ素晴らしいと思った点もある。それはラストで明かされるある真実による主張だ。

それは、実は主人公である母親と、テザードのリーダーであるレッドは幼少期に入れ替わっており、実は主人公はテザードで、敵のリーダーが人間だった、という皮肉っぽい展開だ。

レッドが人間だったからこそ、意志のないテザードたちを束ねて反逆を企てられた、という設定上の整合性もここでは取れている。

しかしもっと重要なことは、この展開によって、単なる偶然によって運命を左右される理不尽さを、観客に一瞬で理解させていることだ。こういう説得力を持たせた理解を促す展開こそ、本当の意味で批判的だと思うのだ。

ぼくは、このラストの展開を見るまで、弱者の象徴であるテザードの描かれ方に対して強い違和感を持っていた。

それは、テザードが弱者の象徴だと考えた場合、知性が低く奇妙な振る舞いをするモンスターとしてのテザードの描写は、弱者を非人間的に描くという暴力なのでは、という違和感だった(もちろん、ホラー映画として機能させるための設定であることは分かった上で)。

また、幼少期のレッドがそうであったように、あの施設から出ようという意志があればテザードは地上に出られたわけで、彼らがそうしないのは彼らにその意志がないからだ。で、その「意志のない存在」を弱者の象徴として描くのはどうなのか、という違和感も当然ある。

しかし、地上に出て、人間的な環境で過ごしたテザードが、今や子供を必死に守る母親=人間になっているという設定によって、この違和感がひっくり返される。

つまり、テザードたちに知性や意志がなく非人間的なのは、そのようなものを得る環境が与えられていないからなのだ、という主張が、このラストの展開によってクリアに描かれている。

そしてそれは、「どこに生まれたか」という偶然によって運命を左右されてしまう不平等の恐ろしさを、デフォルメした形でハッキリと示している。

「いや環境だけでそんなに変わらんだろ」という反論は当然あり得るけれど、そういうリアリティの問題ではない。これは主張をメタファーとして上手く変換できているという良さ。

このラストの展開が良いのは、さきほど書いたような弱者/強者の雑な構図とは違って、作り手の主張を明確に、正確に設定に落とし込めているから良いのだ。この映画が批判する環境の不平等という問題を主張するための設定としては、とても分かりやすく、かつストーリーの展開としても面白い。

このラストの展開を見ると、映画の途中で、奇妙ながら嬉しそうに化粧をしているテザードなどに、人間的になっていく可能性を見ることもできなくはない。テザードは全く意志のない存在なのではなく、意志の対象を知らなかっただけなのかもしれない。

現実社会にいる弱者も、そもそも自分たちが何を奪われているのか理解できていないのかもしれないし、それを強者が「彼らは欲しがってないじゃないか」と判断することの問題、そういう現実にもありえる構造的な問題を、主人公である母親と、テザードたちのリーダーであるレッドの入れ替わりによって、端的に示している。そこがすごく良いのだ。

さらに言えば、さきほど書いた「知らない」と「見て見ぬ振り」に関する問題も、主人公だけに限れば、正当な強者批判なのかもしれない。というのも、主人公はテザードとして地下で過ごした経験があり、そういう意味では「知っていた」はずだからだ。知っていたけど、見て見ぬ振りをして(もしくは忘却し)、自分だけ地上で幸せに暮らしていた主人公は、たしかに弱者を切り捨てた強者として、上手いシンボルなのかもしれない。

総合的に見て、やはりストーリーがずさんだし、ドラマも薄いし、社会批判を全面に押し出すわりにはピントがズレているのではないかと思わずにはいられない映画だけれど、観るべきものがない映画ではない。そしてビジュアルは良い。ラストまで観て逆算すれば、いやいや良い映画だったのでは、と思えてしまう。そんな映画。

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