映画

空の青さを知る人よ

概要

両親を亡くした姉妹。姉:あかねは高校生の頃から自分の人生より妹:あおいのために生き、地元の市役所で社会人として生活している。高校3年生のあおいはこれ以上姉の重荷になるまいと高校卒業と共に上京するつもりでいる。

市役所のイベントで読んだ大物歌手のバックバンドとして、夢を追って上京したあかねの元恋人:慎之助が地元に帰ってくる。慎之助はあかねと共に上京したかったが、幼かったあおいはそれに反対し、あかねもあおいのために地元に残った。

あおいがいつもベースを練習しているお堂に高校生の慎之助(あだ名:しんの)が登場。しんのはお堂から出ることができない地縛霊のような状態で、あおいと交流を始め、優しいしんのにあおいは恋心を抱くが、しんのは大人になった慎之助があかねと無事結ばれるようにあおいにお願いする。

あかねと慎之助は急行を温め、慎之助は地元に帰ろうかとあかねに相談する。あかねは慎之助への想いがありながら、彼はまだ夢を追うべきだと考え、あっけなく慎之助の申し出を断る。

すべてを犠牲にして自分のために生きてくれた姉への想いと、恋心を抱くしんのに消えて欲しくないという葛藤に苛まれるあおい。

そんな中、ある事故にあかねが巻き込まれたことをきっかけに、慎之助としんのが対面。夢を追う苦しみを知る慎之助と、すっかりやさぐれた大人になった自分を見て苛立つしんのは口論になるが、しんのは慎之助の上京という決断を肯定し、あかねに対する気持ちを思い出させる。

事故現場からあかねが助けられ、あおいとあかねは姉妹の絆を再確認。あおいは慎之助とあかねの関係を後押しするため、2人でドライブできるように取り計らい、自分のしんの(過去)に対する失恋を受け入れる。

レビュー

面白かった。

田舎で平凡に生きている感じ。姉:あかねの落ち着いた魅力とこの世界観がマッチしていて良かった。同時にその閉塞感から抜けたいという妹:あおいの気持ちにも説得力を持たせていた。

高校3年生と31歳という、人生の選択を迫られる絶妙な年齢設定。恋心を軸に、交錯するそれぞれへの温かい感情。素直に吐き出せない好意と、それを吐き出す心地よさを感じられた。

「誰かが誰かを想って行動する」という心地よい関係性のみで構成されながら、ちゃんとそれぞれのキャラクター(メイン3人に加え、あおいとあかねに好意を寄せるサブキャラまで)が葛藤しており、見応えがあった。

今の自分を過去の自分が説教するというダイレクトなシーンも熱くて良かった。またこのシーンで、地縛霊になった側:しんのは、彼の弱さの象徴であったことも分かり、過去の自分の決断(強さ)を肯定することで今の自分を勇気づけている、という展開も良かった。

また、最後の荒唐無稽な疾走シーンに、アニメっぽい開放感があって、映像作品としてとても見心地が良かった。

序盤では、突然現れた地縛霊(?)しんのの謎がミステリーとして駆動しつつ、13年越しに再開したあかねと慎之助の恋がサスペンスとして起動する。

そこに、あおいの姉に対する想い、しんのに対する恋心が、このあかねらの恋への協力を阻むものとして立ち上がって来ながら、ここで姉妹愛やあかねの気持ちや慎之助の苦悩を感情移入の対象として描いていく。

しんの(謎の存在・他者肯定・ミステリー)

「突然、13年前の姿のまま旧友が現れる」という状況がこのストーリーの最初の惹きになっている。

普通に幽霊かなと想像させるのだが、現実の慎之助が登場することで謎は深まる。といいつつ、これがなんだったのかの説明は最後まで特になされない。が、それほど消化不良な感じはしない。

あかねを置いて上京するために、13年前に慎之助が置いて行った「弱さ」の象徴だと考えれば、ストーリー的に納得できるから、これが生霊だったのか何なのかは、それほど問題にならないのだと思う。

同時に、途中からはあおいの恋の相手となり、時間のずれたな三角関係を作り、「あかねの恋が成就してしまうと、あおいの恋が成就せず」という二者択一の状況を作ることで、あおいの葛藤を深めている。

また、あおいの恋心や告白シーンを描くことで見せ場を作りつつ、あおいの成長のきっかけとしている(告白の後、あおいは友人に非礼を詫びているし、最後は失恋を受け入れることによってあおいを成長させている)。

さらに、「過去」としてキャラクターたちと交流を持つことで、各キャラクターの「今」を肯定する存在として、安心感を与える役目を担っている。

慎之助のことは上京し頑張ったことを肯定するし、あおいのために生きたあかねの人生も肯定する。これによって、輝かしくない、または上手くいっていない人生を応援する存在として、感動を与えている。

また、ずっと出られなかったお堂からだの脱出シーン、その後の疾走シーンでは、映像的なカタルシスや心地よさを描き出している。

あおい(自責・恋・諦め)

まず孤独にベースを弾いている女子高生という時点で惹きつけるキャラクターである。

無邪気で可愛かった頃の過去回想と、無計画に上京してバンドをやる話、姉に悪態をつく、市役所のイベントを避難する無愛想な今のあおいを交互に描くことで、このキャラクターに興味を持つ。

映画中盤でしんのと会話するシーンでようやく、あおいのあかねに対する自責の念が語られることで、あおいの好感度が上がる。(このシーンでしんのに対する恋心も明確になる)

あおいはある意味狂言回し的に、さまざまなキャラクターをつなぐ役としてストーリーを引っ張っている。

たしかに、あおいはしんのに恋心を抱き、姉への想いとの間で葛藤するのだが、あおい自身が決断し、それによって進展するは基本的にない。

なし崩し的に慎之助と同じバンドに一時メンバーとして入り、しんのに告白するがそれがどうなるわけでもないし、慎之助と対話するわけでもない。姉と腹を割って話すでもないし(暴言を吐いたシーンも一方的な怒りとして終わってしまう)、上京云々の話もストーリー上では特に進展しない。

意外とあおいは重要なことをしていない。ストーリーは周囲の人間や事故(しんのの登場、食中毒や地滑りなど)によって進展していく。

ただ、あおい自身の苦しみに共感できるので、ストーリーを動かしていなくても主人公として問題なく機能している。

あおいは苦しみを度々表出している(姉への罪悪感ゆえ上京したいこと、悪態をつく慎之助への怒り、優しすぎる姉への暴言、成就することのないしんのへの恋の告白、最後の失恋)。

また、ラストでしんのを諦めるという重要な選択はしていて、主人公として成長し、それにちゃんと満足感がある。

あかね(自己犠牲・救い)

あかねはとにかく頼れる「大人」として描かれる。

あおいを世話する様子、慎之助に言い寄られてもサバサバとかわし、正道の気遣いにも毅然と「自分は自分の決断で生きてきた」と返答し、あおいの暴言にも言い返さない。

これによって、あかね自身の欲望が満たされてほしい、という気持ちが芽生える。つまり、彼女の人生が報われてほしいという気持ち。

それは、慎之助との会話の後、地元に戻ろうかという彼の相談(=あかねにとっては悪くない話)をされつつも、まだ夢を諦めるような歳ではないと慎之助を勇気づけた後、1人になって泣いているあかねの姿で最も高まる。

その後、あおいがあかねの料理ノートを発見することで、あかねの献身がさらに強調される。

あかねが救われる=慎之助と結ばれるという展開は、主人公であるあおいの気持ち(しんのへの想い)とは矛盾する。

だから、あおいに感情移入しながら、あかねが救われてほしいと感じると、強い葛藤を生む。

ラストでは、あおいのために生きたあかねの選択は間違っていなかった、としんのが語ることであかねの人生は肯定され、さらにエンドロールで慎之助との結婚によりハッピーエンドになっている。

良かったね、という気持ちがあかねの人生を通して描かれている。

慎之助(自己否定・後悔・再生)

あおいの持つギャップ(子供の頃と現在)と同じく、慎之助も過去と現在でギャップのあるキャラクターとして興味を惹く。

終盤になるまでは、ずっと嫌な奴キャラが強化されていく(いきなりあかねを誘うシーンやバンド練習時の悪態、あかねの友人との密会など)。

終盤になると、実は悪い奴ではないという情報がいくつか出され、その後、あかねと楽しく会話するシーンで好感度を上げる。

さらに、過去の自分にコテンパンに言われることで、現実の辛さを知る大人代表として共感を呼ぶ。

同時に、上京を決断し、ある程度のところまでキャリアを築いていることを過去の自分に評価され、ダメダメだと思っていた自分の人生を肯定される。

ダメダメだと思っていた人生を肯定される嬉しさは、妹のために生きたあかねの人生が肯定される展開と重ねられる。

だからこの映画は、30歳くらいで「自分の人生これで良かったのだろうか」と思っている大人に刺さる映画になっているに違いない(もちろん、それなりに自分の人生を肯定する材料がある大人に限られるだろうが)。

ラストでは、自己卑下していた自分のキャリアを「まだ途中だ」と再認識し、再出発の希望を感じさせる。同時に、「ツナマヨ」=妹よりも慎之助を優先するというあかねの言葉によって救われる。