映画

ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 -女性社主ケイの成長と報道の志-

概要

1971年、ベトナム戦争を巡る米政府の不都合な真実が記載された文書「ペンタゴンペーパーズ」がニューヨークタイムズの記者へリークされ、それが世間に公表される。

ワシントンポスト紙もこの文書を手に入れ、編集主幹のベンはすぐさま記事にしようと考えるが、社主のケイはそれを渋る。

文書作成を命じた国防長官マクナマラはケイの友人であり、かつ、国家機密を報道するという行為は、会社経営にとって大きなリスクでもある。

ケイは、仕事と友情の間で、そして政権の圧力と報道の自由の間で板挟みになりながらも、ある決断を下す。

みんなのレビュー

高評価

  • 公文書の大事さ、権力とメディアの関係について考えさせられるし、キャラクターたちの意志に感動する
  • 会話の量が多いが、演出が上手く最後までダレずに見られる
  • 当時のアメリカの空気感や、新聞社の様子を垣間見られて面白い

低評価

  • 情報量が多く、予備知識なしに見ると置いていかれる。また決断を悩むシーンがだらだらと続いている印象がある
  • 当時のアメリカ全体の空気(つまり社外の空気)があまり描かれておらず、逆に小さな話に感じてしまう
  • 全体的に意外性がなく、ストーリーとして退屈

ナニミルレビュー

オススメ度:B

こんな気分の時オススメ:正義感の強いジャーナリズムが観たい時。信念とキャリアの間で悩む主人公が観たい時。男社会の中で女性が奮闘するストーリーが観たい時。

良い点!

頼りない女性社主ケイの成長をドラマとして描きながら、新聞社同士の戦いから、報道と権力の戦いへと展開していくストーリーが面白い。

・男社会の中でイマイチ能力を発揮しきれていないケイが主体性を獲得するストーリー
・政治家とも付き合いのあるセレブであるケイが、ジャーナリストのトップとしての社会的使命を受け入れるストーリー
・国家の横暴に新聞社が敢然と立ち向かうストーリー

この3つのストーリーが絡み合いながら、最後は「ケイの決断」という一点に集約していく展開がアツい。

イマイチな点・・・

啓蒙的なストーリーなので仕方ないのかもしれないが、ところどころで説明的なセリフや演出が鬱陶しく感じる。

特に、ストーリー展開の中で十分理解可能なのに、そこにダメ押しで説明ゼリフを入れている点が気になる。もっと観客を信用していいのでは。

例えば、ケイの決断が重大なものであることは、観客に十分伝わっているのに、その後、ベンの妻、そしてベンによって、「すごい決断をした」という会話が2回も繰り返される。

ラストシーンでケイが女性たちの視線を集める演出もチープに感じた。あの眼差しは観客のものであって、わざわざスクリーン上にわざとらしく映さなくてもいいのになぁ、と思った。

「報道の自由」「女性の社会進出」は、現代では珍しいメッセージでもないのだから、あそこまで分かりやすく説明しなくても大丈夫だと思うのだけど。

こういう蛇足が、映画全体を長ったらしく感じさせている。

社主としてケイの成長

まだまだ男社会の新聞社の中で、女性社主として働くケイの成長が中心軸として描かれている。

ケイは2つの問題を抱えている。

1つは、会社経営者として主体性が薄いこと。もう1つは、ジャーナリストとして権力との適切な距離感をつかみかねていること。

ケイは社主として、どのように成長するだろうか。

初登場シーンでケイは、株式公開に向けての交渉の準備をしている。

そこではケイの真面目さや有能さが示されると同時に、自信なさげで頼りない様子もうかがえる。

そのあとの交渉のシーンでも、せっかく用意してきた反論を発言する勇気が出ず、結局は男性取締役に発言を奪われてしまう。

ケイの地位は、元社主の夫が死んだことによるものという経緯もあり、役員たちもケイの能力に懐疑的。そこには女性に対する偏見も含まれている。

さらにワシントンポスト紙自体も経営が難しくなっており、ケイは難しい立場に立たされていた。

そんなケイは、機密文書を報道するかどうかの判断という重大な責任を引き受け、逞しく決断を下すことで成長する。

最初は会社のためにもとリスクを冒すのをためらっていたケイ。

さらに文書公開に乗り気だった編集主幹のベンやその他男性役員たちも、投獄のリスクが明らかになって尻込みする。

そんな状況の中、ケイは決断を貫き、リスクを冒して報道を敢行する。

報道の自由の旗手として、自分や新聞社の役割を見据えたケイに、最初の頼りなさはなく、報道を控えるよう訴える男性役員に対して「私の方針が嫌なら辞めるべきね」と言い放つ。

文書の騒動を通じて、ケイは役員たちや編集主幹、そして権力側の友人、ライバル紙と交流を重ね、自分の役割を確立していく。

ジャーナリストとしてケイの成長

ケイは新聞社の社主でありながら、権力中枢とも個人的な付き合いがあり、政権に対してもやや甘い立場である。

大統領が、娘の結婚式からワシントンポスト紙の記者を出禁にしても、「あまり大統領を責められないわ」と理解を示している。

娘にも、ある時ケイが家族を蔑ろにして大統領の誘いに応じて出かけていったと責められる。

さらにベンが文書の報道に許可を求めた時も、文書の責任者である友人マクナマラを気づかって、許可を渋る。

新聞社の社主であるケイは、一方ではジャーナリズムを支える会社のトップであり、一方では政権中枢とも付き合いのあるセレブである。

そしてケイは、ジャーナリストであるよりも、セレブだった。

そんなケイも、文書騒動でジャーナリズムを支える人物として成長する。

友人として、マクナマラの苦境に理解を示すケイ。

しかしマクナマラがベトナム戦争の真実を知りながら、ケイや友人の息子たちが戦場に送り出されるのを黙って見ていたことに、ケイは市民の1人として憤る。

さらに編集主幹のベンと文書の報道について話す際、「友人であるか記者であるか選ばなければいけない」と諭される。

ケイはパーティーのスピーチ中に、役員らに電話で呼び出され、報道を許可するかどうかの決断を迫られる。

まさに、セレブとしてのケイが、電話によって、ジャーナリストとしての決断を迫られる象徴的な瞬間だ。

ケイは、最後の最後まで自信なさげに部下の意見を求めながら、しかし最後は、自分の意志で決断を下す。

そしてその後は、さらなるリスクに役員たちやベンが怯んでも、ケイが誰よりも意志を固く持ち続け、世間もその意志に応える。

こうしてセレブだったケイは、ジャーナリストとしての義務を果たす。

法と表現の自由について

この映画は、ジャーナリズムの重要さ、ジャーナリストの志の高さを示す映画である。

ストーリーは、「ワシントンポストvsニューヨークタイムス」から始まり「報道の自由vs国家権力」へと展開する。

そしてキャラクターたちが追い求めるものは、特ダネ(営利)から、機密の報道(報道の自由)になる。

ケイは、「経営者」として投資家や権力者と対峙し、同時に「ジャーナリスト」として国民や部下たちと対峙している。

終盤までケイが報道に踏み切れないのは、権力に対する気づかいに加えて、社会的な非難に晒されることを恐れるからだ(投資家が手を引くリスク)。

ストーリーを通して描かれるのは、会社の存続以上に、正しく情報を国民に届けることの方が大事だ、というケイの価値観の変化である。

これは難しい話だ。というのも、新聞社が潰れてしまえば、そもそも報道ができなくなってしまうから。

しかし、会社を存続させるために報道すべきことを報道しないのであれば、それは本末転倒である。

ケイが最初に報道にゴーを出す電話のシーン。

役員の1人が「検閲はワシントンポストではなくニューヨークタイムスにかけられたものだ」と言う。

それを聞いたベンが「同じことだ。彼ら(ニューヨークタイムス)が負ければ、うちも負ける。我々も憲法も負ける。ニクソンは次の記事も、その次も差し止める。最初に我々が怯えたせいで」と答える。

ケイは、報道の自由を守る最前線に立たされている。

そして、「報道の自由を守るのは報道しかない」とベンはケイを説得する。

ケイは、会社が潰れるリスクをとって、報道すべきことを報道することに賭けた。そこが感動的でドラマチックに描かれている。

これこそがマスメディアのあるべき姿、というのがこの映画が描いている価値観だ。

逆に言えば、これをドラマチックに描かなければいけないということは、現状がそうでないことに対する批判でもあるだろう。

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