映画

レディ・バード -退屈な地元、分からず屋の母、冴えない友達、みんな好き-

概要

クリスティンは、髪を赤く染め、自分に「レディ・バード」という名前をつけ、学校の集会で講師に悪態をついて停学になってしまうような、少し変わり者の女子高生。

クリスティンは退屈な地元から出たがり、ニューヨークへの大学進学を望むが、母親は地元の大学に行くように要求する。思春期らしく反抗するクリスティンを厳しく叱る母。2人は親子ゲンカを繰り返しながらも、母はクリスティンを支え、クリスティンも母に認められたいと感じている。

高校生最後の時間。クリスティンは先生に勧められて高校の劇団に入る。恋をしたり失恋したり、親友とケンカして仲直りしたり、母親に隠れてニューヨークの大学へ願書を出したり。

そんな日々が去っていき、クリスティンは大学へ進学する。

みんなのレビュー

高評価

  • 母娘関係の愛憎表現が素晴らしい
  • 退屈な地元と面倒な親、思春期特有の焦燥感がリアルで、共感できる
  • 描かれていることの行間に人間味を感じさせる演出が上手い
  • 家族や地元の暖かさにほっこりできる

低評価

  • 奔放で未熟な主人公の性格が嫌いで乗れない
  • ありがちな思春期モノで食傷気味
  • 明確なストーリー展開がなく、何が言いたいのかよく分からない

ナニミルレビュー

全体的なレビュー

クリスティンはちょっと変わり者の主人公だが、奇抜なストーリーではなく、高校最後の年を温かく描く青春ドラマ。

特筆すべきはクリスティンと母の関係。母が単なる悪役でもなく、単なる理解者でもない。ケンカしているときは憎らしいけど、クリスティンを支えてくれる優しさも描かれる。この安定しない関係性こそ、思春期娘と親との関係性なのかもしれないと感じさせる説得力がある。

それに比べると、親友との関係や恋愛関係はやや定型的に感じた。マイナスではないけど、特別良くもないという印象。

キリスト教系の学校や先生をとても魅力的に描いているのは新鮮だった。全体的に、サクラメントという地域がとても魅力的に描かれている。

ラストシーンで、クリスティンが地元について語るシーンがとても感動的なのは、地元を嫌っていたクリスティンの心境の変化に納得できるからだ。なぜそれに納得できるかといえば、ストーリーを通して、観客の僕がサクラメントを魅力的だと感じられているから。

とにかくこのラストシーンが素晴らしい。それまでの人生の苦い経験も楽しい思い出も、そこで形成された人間関係も、すべてひっくるめて自分の人生を肯定するような、そんな前向きな空気に満ち溢れている。

放置され続ける母娘ケンカ

この映画の母娘関係の説得力はすごい。

このストーリーの巧みで面白いところは、母娘のケンカが繰り返されながら、それが敢えてドラマとしては連続していかないというところ。下手をするとキャラクターの感情や行動に矛盾を感じさせてしまう流れだが、「でも、家族関係ってまさにこういう、オチのないものだよな」と思わせるところが素晴らしい。

クリスティンと母は、映画冒頭から、「仲良し」と「ケンカ」を繰り返している。

1つのベッドで一緒に眠る母娘を見つめる優しい視線からこの映画は始まる。そこからベッドメイクをする母と「(ホテルなんだから)片付けなくていいのよ」というクリスティンの会話によって、この2人が正反対の性格であることが手際よく示される。

帰りの車で、『怒りの葡萄』の朗読を聴き、一緒に感動の涙を流したかと思えば、すぐ次のテープに移ろうとするクリスティンと、余韻に浸ろうとする母はまた対立する。

ここでも、次々に刺激を求めるクリスティンと、丁寧に刺激を楽しむ母が対比的に描かれている。

この対比がそのまま、「都会の大学に行きたい」というクリスティンの要望と、「地元の大学で我慢すべき」という母の意見の対立に繋がり、穏やかな空気は一転して険悪になり、クリスティンが走っている車から飛び降りる。

この映画は終始、この母娘の相手に対する「怒り」と「温かい思い」を繰り返しながらラストまで進んでいく。

しかも、「ケンカしたら仲直りして、日常を過ごして、またケンカして」という分かりやすい流れになっておらず、「ケンカする」「一緒に買い物する」「ケンカする」「普通に会話する」という風に、感情がぶつ切りになっている。

分かりやすいドラマとして一本のストーリーを紡いでいくのであれば、もしケンカをしたら、その後、さらにケンカを激化させるか、仲直りさせるか、という展開になるはずだ。

しかし、この映画はそうしていない。だから「いや、なんか普通に過ごしているけど、さっきのケンカはどうなったの?」と感じてしまう人もいるかもしれない。

特に、クリスティンが停学になった時は、それまでのケンカと比べてもかなりの大ゲンカになるが、このシーンが終わるとクリスティンは呑気に寝転がってテレビを見ており、次に母と会話するシーンでは、2人はなんともない調子で会話を始めている。

前のシーンでは、あれほど大ゲンカをしていたのに、次のシーンで普通に会話を始めていると、キャラクターの関係性として、それは違和感になる。

しかし、家族ってそもそも、そういう違和感のある関係性なんじゃないだろうか。

ケンカしたからといって縁を切れない。怒ったからといって顔を合わせないわけにもいかない。憎らしく思ったからって、本当に憎んでいるわけではない。

そういう奇妙な関係性の中で、1日1日が積み重なっていくのが家族だ。

だから、仲直りしたり反省させたりしないまま「放置されたケンカ」という出来事は、ストーリー的には不自然でも、「家族の描写」としては説得力がある。

そして唯一ちゃんとドラマとして回収されるケンカが、一番最後のケンカだ。

母に隠れてニューヨークの大学への手続きを進めていたクリスティン。そのことを知って母はぶちキレ、クリスティンと口を利かなくなる。

このケンカは、何事もなかったかのように放置されていたそれまでのケンカと違って、クリスティンがニューヨークに出発する時まで続く。

空港でクリスティンを降ろし、見送らずに帰ろうとする車を走らせる母が、最後にクリスティンへの思いを抑えられなくなってゲートに駆け込んでくる、というドラマチックな展開。

さらに、クリスティンの方も実家に電話をかけ、留守電に「ありがとう」と伝言を残す。

それまでの母娘ケンカが、淡々と家族の日常として描かれていたからこそ、このラストの「ケンカ→お互いへの思いの吐露」の流れが際立って感動的になっている。

母娘の絶妙な距離感

2人の関係を示すのは、もちろんケンカだけではない。

むしろ、やたらケンカしている分だけ、細々とした愛情表現が心地いい。

クリスティンがダニーと初めてキスをして帰ってきた夜。クリスティンの幸福感は「部屋を散らかしっぱなしにしないで」と小言を言ってくる母の説教で台無しにされる。

ここでクリスティンが言う「明日にして」というセリフから「今日だけは良い日として終えさせてくれぇ」というクリスティンの気持ちが伝わってくる。そして、この気持ちが伝わってくる分だけ、母が悪者に見える。

しかし、ダニーの家の感謝祭に行くことになったクリスティンは、母と一緒に服を買いに出かけ、母はクリスティンのために服の寸法をミシンで直してやっている。

クリスティンが冗談で自分の家をスラムだと語った話を、ダニーは母にしてしまう。裕福なダニーの家の感謝祭から帰ってきたクリスティンに、母は「今年の感謝祭はあなたがいなくて寂しかったよ」となんとなしに言って部屋に帰っていく。

ここに母の切なさと優しさが表れている。クリスティンを抑圧していた母もまた、クリスティンの言動に心をかき乱されている。母はクリスティンのためにできることをしているが、その気持ちは完全にはクリスティンに届かない。

このどちらかが一方的に強いわけではない関係が、この母娘の関係性の良いところだ。

クリスティンが、母の無理解に苛立ったり母に甘えたりするのと同じように、母も、クリスティンが自分の思いを理解してくれないことに傷ついたり悩んだりしている。

そして、いつもいがみ合っているわけではなく、例えばクリスマスのシーンでは、子供のために質素ながらプレゼントを用意する母と、その母の思いに応えて喜んで見せるクリスティンの良好な関係が描かれている。

クリスティンが傷ついた時、母は何も事情を聞かずにただクリスティンを慰め、その日、一緒にクリスティンと過ごしてあげる。

そして、ダニーがクリスティンに「君の母親はちょっと変だよ」と言った時には、クリスティンは必死に母を庇って「母さんは優しいし寛大だ」と反論する。

ケンカしながら、2人とも心根では相手を深く愛しているということがしっかり描かれている。

一方的な関係ではないが、その上で、やはり思春期のクリスティンより、母の方が全体的に見ると正しいことを言っている。

ただ、クリスティンの方が正しいことを言う場面があって、それがプロムに着ていく服を選ぶ試着室のシーンだ。

「母さんに好かれたい(I wish that you liked me)」と言うクリスティンに、母は「もちろん愛してる(Of course, I love you)」と答える。それに納得せず、クリスティンが「私のこと好き?(Do you like me?)」と聞き直す。

母は返事に詰まり、「あなたの最高の状態になってほしい」と答え、「今が最高の状態だったら?」と言うクリスティンに対し、何も言い返せなくなってしまう。

ここで「love」と「like」の重みが一般的な考えと逆転しているのが面白い。

普通はloveの方が重大で、likeの方がカジュアルだ。

しかし母娘関係において、母が娘を愛している(love)なのは当然だ。クリスティンはそう思っているから、母が自分を好きか(like)を問うている。

ここでは「like」はほとんど、「受け入れる」という意味で使われている。

「今が私の最高の状態だったとしても、そんな私を母さんは受け入れてくれる?」とクリスティンは問い、母は言葉に詰まってしまう。

一見、ここで言葉に詰まる母は冷たく感じる。しかしここで言葉に詰まるのは、「より良く育ってほしい」という思いがあるからこそだ。「今の状態を受け入れる」ことと「今よりもっと良くなって欲しい」と思うことは、矛盾してしまう。

母は、愛情から、クリスティンにより良い人間になって欲しいと願っているからこそ、ここで言葉に詰まってしまった。

でも親としては「どんなあなたでも受け入れる」と言葉では言うべきだった。母はクリスティンに言葉をかけようとするが、そのタイミングを失ってしまう。

こういう細々としたセリフが、母娘のお互いに対する思いをしっかり描写しつつ、なんとも言えない力関係を写していて、すごくいいドラマを形作っている。

地元愛

映画の舞台はカリフォルニア州サクラメント。西海岸近くで、サンフランシスコの近く。

クリスティンにとってはなんともパッとしない街らしく、クリスティンは終始、もっと楽しい街に行きたいと語っている。

しかし、映画で描かれるサクラメントはとても魅力的で、クリスティンの通う高校も、下校で描かれる道や家も、穏やかな郊外という感じのいい雰囲気。それが十代のクリスティンには嫌なんだろうけれど。

サクラメントは、本作の監督グレタ・ガーウィグの出身地。グレタはカトリック系の高校に通い、グレタの母は看護師だったそうで、これは彼女の自伝的な色の濃い作品なのだそう。

(ちなみに、グレタが主演する映画『フランシス・ハ』で、主人公が現実逃避するため実家に帰省するシーンでも、サクラメントが登場する。)

サクラメントは、グレタにとって、穏やかでゆっくりできる、懐かしい場所なんだろう。

まさに、そういう雰囲気が映画から漂ってくる。

ストーリー的には、クリスティンは最後になってようやくそのことに気づくが、ある意味未来のクリスティンであるグレタは、映画全体を通してサクラメントを美しく描いている。

閑静な住宅街や、愛に溢れる高校は言わずもがなだが、例えば、母娘が買い物をする安っぽい服屋でさえ、とても懐かしく心地よい空間として感じられる。

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