映画

アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル -嘘のない人間関係と栄光と挫折-

概要

当事者インタビューと回想ストーリーを交互しながら、才能あるフィギュアスケーターの活躍と凋落をブラックユーモアも交えて描く。

悲劇的な実話をベースに、厳しい母親、暴力の絶えない夫婦関係、評価されないアスリートの苦しい日々などを描きながらも、強靭なキャラクターたちによって喜劇的に展開するストーリー。

とにかくパワフルな主人公トーニャ、非難殺到必至の子育てをする母親、愛憎の権化のような夫に、虚栄心の強い夫の友人。

アツいドラマと、間抜けな事件。テンポよく進むストーリーとそれを脱線させるインタビュー。映像的な楽しさと共に悲喜劇ドラマを堪能できるエンタメ作品。

!!これより下はネタバレの可能性があります!!

レビュー

夢に向かって突き進むアツさ。キャリアでも私生活でも絶頂と最低を行き来するダイナミックさ。いびつなのに強く清々しい母娘関係。夫婦間の感情のもつれと間抜けな友人のせいで巻き起こる喜劇的な悲劇。悲劇ながら過去の話として距離感を持って観られる軽やかさ。

音楽やダンスとカメラワークが楽しくテンポも心地よい。ドキュメンタリー形式のフィクションとしても面白い。単にインタビューが挟まれるだけでなく、ストーリー中も登場人物がカメラに向かって話しかけるシーンがあるなど、虚実が曖昧に描かれる小気味よさがある。

実話を元にしながら、このある意味では「嘘っぽい」演出によって、事実からは距離をとっている感じが見やすい。

基本的には主人公トーニャに同情的に描かれており、実際のスキャンダルを知る人によっては、そこに違和感があるかもしれない。(個人的にはよく知らない事件だったので、フィクションとして楽しめた。)

ただ、前述の通り、事実を強調するような描かれ方ではなく、「事実から距離を取りながら、ドラマチックに演出している」というのを敢えて強調している描き方だと思ったので、事実のひとつの側面として、冷静さはあるのではないかな、と個人的には思った。

とにかく、トーニャと母親、夫ジェフとその友人ショーンら主要キャラクターが、とても魅力的だと思った。

全員の欠点がトーニャ浮き沈みのドラマにうまく絡み付いていて、

冷たい母娘関係、なのにアツい関係

この映画はタイトルを見ると、あるスキャンダルの顛末をめぐるストーリーかと思うが、実はそこに関してはそれほど踏み込んだ話はなく、重点が置かれているのはトーニャを取り巻く人間関係だ。

その中でも、際立った関係として描かれるのは母親との関係と夫(元夫)との関係だ。

個人的には母親との関係がもっともグッときた。

嘘のなさ

トーニャの母は、今で言えば確実に悪い母親である。

子供を褒めない。暴力は振るう。マナーも最悪。普通に考えてアウトである。もしかしたらこの母親に対する嫌悪感でこの映画を嫌いになってしまう人もいるかもしれないと思えるほど悪い親だ。

しかし、ぼくはどうしてもこの母親に魅力を感じてしまう。

それはなぜかと言えば、彼女に嘘がないからだ。

確かに彼女は悪い母親だとは思うが、しかし、常に本音しか言わないという面では誰よりも誠実である。

そこが、昨今のポリコレ、多様性、自分らしさ、オンリーワン、なんたらかんたら、という世間の風潮の中で生きていて、それに若干の窮屈さを感じているぼくにも心地よかったのかもしれない。

そして、もちろん、この母親の悪辣さにトーニャがめげないことにも原因がある。

映画序盤で母親は「トーニャは怒ると力を発揮するタイプで”どうせできない”とか言わなきゃダメだった」と語る。

これはもちろん母親側の勝手な言い分ではある。

しかし、実際トーニャは母親の暴力にめげずにスケートを続け結果を出していく。

この2人の関係はいびつなのだが、いびつなりに機能している。

母親はトーニャの闘争心を信じて辛辣な言葉を吐く。トーニャもそれにめげずに力を発揮する。

世間的にはアウトな振る舞いでも、この2人の間ではそれが正しく機能してしまう。

ここに物語的な快楽がある。

一般論では悪なことが、個人にとっては必ずしも悪いことではない。統計的に見れば破綻するはずのことが、あるひとりにとっては成功を導く鍵になる。

この映画全体から湧き出る反骨精神は、この母娘関係を起点としてストーリー全体に広がっていく。

世間一般のやり方などクソ食らえで、2人の生き方で勝ち上がっていく。

しかしこの「世間一般」はフィギュアスケートでは審査基準にもなってしまう。だから、トーニャはあるところ以上の評価をされずに苦しむというドラマも生んでいる。

つまり、この嘘のない母娘関係と、虚飾にまみれたスポーツ会が対比されることになる。(もちろん、フィギュアスケートがこれほど単純に悪なのかどうかは怪しいが)

これによって、この母娘関係の率直さ、実直さ、嘘のなさがさらに魅力的に見える。

善人ではない母親の「善さ」

また、母親はたしかに異常な厳しさを持つ人物だが、うまいこと観客の理解を誘うようにも描かれている。

まず、娘の才能を頭から信じているという点では疑いがない。

そして、母親自身の口からは何度も、「自分のお金は全てトーニャのスケートのために捧げている」という発言が飛び出す。

母親がいい歳になってもウェイトレスをしているという描写から、そこに嘘がないことも想像できる。

自分が働いて稼いだお金を捧げるというのは、娘がどう思うかどうかはともかく、本人にとって相当の負担であることは間違いがない。それは働いている人間なら誰でも理解できる。

嘘っぽい優しさより、働いて稼いだお金。これが母親の愛と信頼の示し方なのだと思えば、単に子供に辛く当たっている親だとは思えない。

中盤、母親がウェイトレスをやっている店でトーニャと会話するシーンがある。

自分のことを愛していたかと問うトーニャに、母親は「私はお菓子でなくメダルをやったんだ。私も自分みたいなママが欲しかったよ」と反論する。「ママがイヤな奴で悪いか? 才能に感謝しな」というのは強烈なセリフだ。

もちろん、自分の成し遂げられなかった夢を子供におしつける悪い母親だと判断することもできるし、実際そうなのだろう。

しかし同時に、自分が母親にして欲しかったことを精一杯わが子にしてあげている人間だと思えば、それはそれですごさを感じる。ただその「して欲しかったこと」がやや極端だったのだ。

その上、本人は好かれもしないしお金もなくなるし、良い思いはしていないのだ。だから、そこだけはやはり本当で誠実なんだと思わされる。

なんにせよ、この母親はこの映画的にも「善人」としては全く描かれていない。だから、そこに違和感や嫌悪感はない。

そうではなく、この母親のいびつさ、弱さの中にも「善さ」があるんだという視点を持てるのが、この母娘ドラマの面白いところだと言える。

そして、だからこそ、最後娘との会話を盗聴しようとした母親に対する落胆がすごかった。

ここでだけ、母親は利己的に娘を利用しようとした。

しかも、唯一母親が優しい言葉をかけた直後にこの展開になる。

普通の優しさは見せないが信頼はできる母親が、追い詰められた娘を前に、唯一普通の優しさを見せ、ホッとしたと思いきや、最も最悪なことをする。

ここのドラマ的な揺さぶりはすごかった。

というのはちょっと脱線だが、とにかく母娘関係のアツさがぼくは好きだった。

ダメな奴らの悲喜劇からくる前向きさ

母娘のアツい関係に心打たれつつ、しかしこの映画の登場人物はみんな人としてダメな部類の人間だ。

そこがとても良い。ダメだけどめっちゃ魅力的。その雰囲気が心地よい。

そして、ラストシーンで象徴的に描かれるが、この映画はとにかく前向きさを描いた作品で、そこがとても良かった。

(ラストシーンがどういうシーンかといえば、殴られ、倒れ、血を吐いて、しかし立ち上がって闘い続ける、というシーンだ。)

まずこの映画はドキュメンタリー風な語りで始まり、合間合間に当事者インタビューが挟まれる構成になっている。

つまり始まりからして、「これから描かれるストーリーはすでに終わっていて、その中心人物たちも今やこんな感じ。なんというか、呑気で間が抜けて緊張感がない雰囲気で過ごしている」ということが印象付けられる。

ストーリーが進行して、物語にグッと気持ちが入っていっても、インタビューが挟まれ、観客はフッと緊張を解かれる。また、カメラに向かって語りかけるキャラクターによって、これは作りものなんだと強調される。

この構成自体がこの映画の軽快さを作っている。

ストーリー内で描かれる暴力も悲劇も、今は終わっていて、そして当事者は悪態をつきながら過去を語っている。

つまり、ここで大きな悲劇が起きていても、暴力が巻き起こっていても、しかし当事者はしぶとく強く生きている。

ここにある前向きさ=心地よさは、主人公トーニャの被害者感の希薄さからきている。

トーニャは被害者だと言える。母親からは厳しい教育を受け、夫からは暴力を受け、審査員からは評価されず、おかしな事件に巻き込まれ、最後は全てを失ってしまう。

しかし、トーニャは被害者っぽくない。彼女は何度も「私のせいじゃない」と言い張って、同情を寄せ付けない態度をとっている。

またストーリー内でも、母親の暴力に反発し、夫からの暴力以上に自分も暴力を振るっている。

夫に接近禁止命令などを出しているのだから、かなり面倒なこともいろいろ起きたのだろうが、そういう面倒で停滞する場面はことごとくストーリーからカットされている。

スケートで評価が上がらず感情的に落ちてくるシーンでも、うじうじすることなく、とにかく何か次のアクションを起こし続ける。もしくは感情的にケンカしている。

そしてどれほど悲劇的なシーンがあっても、インタビューで太々しく話しているトーニャが登場して、雰囲気をリセットする。

この映画はとにかくひどい仕打ちを描きながらも「可哀想」と観客が思うことを拒むような作りになっている。

「可哀想」という同情ではなく、それでも強く立ち向かうトーニャの強さに感動させるように演出されている。

ドキュメンタリー形式になっているということは、この映画は二層構造になっているということだ。

地のストーリー部分と、それを俯瞰するインタビュー部分。

さまざまな困難に見舞われながらもフィギュアスケートでトップを目指そうと一途に努力し続けるトーニャの物語は、当然強い前向きさを持つ。

ただ、この映画のその地のストーリーの前向きさを超えている。それがドキュメンタリー部分の効能だ。

「夢を追いかけるのは素晴らしい」という前向きなメッセージを持つスポーツ映画は多くある。この映画にもそういう雰囲気は含まれている。

だが、この映画は悲劇として、最後は夢破れる展開を描いている。

にもかかわらず、しぶとく生き続けるキャラクターたちをインタビューを通して描いている。

つまり、それは「夢を追いかけるのは素晴らしい」という前向きさを超えた、つまり「夢が破れてもなお人間は強く生きられる」という前向きさを描いている。

幸せだから良い。うまくいっているから良い。

そういう条件付きの前向きさではなく、しぶとく生き続けること自体がすごいという生きること自体の前向きさを描いているから、この映画はいいのだ。

主題のスキャンダルはオマケ感

タイトルにもなっている、トーニャ凋落のスキャンダル。

たしかに現実感がないほど間抜けで、コーエン兄弟の映画を見ているような面白さがある。

ただ、事件の詳細はあまりなく、そういう意味での面白さはそれほどない。ただいつの間にか変な友人が暴走し、犯人が間抜けで簡単に捕まり、事件自体は終わる。

あくまで、トーニャの人生を狂わせる悲劇として描かれるのみなので、スキャンダルの中身はかなり淡白だ。

例えば、被害者であるナンシーとの関係も、インタビューで「友人だった」と語られる程度だし、ナンシーの感情は特に描かれない。

実際にどれほどトーニャやジェフが事件に関わったのかが微妙なところだからだろうが、事件自体は判然としないしかたで描かれている。

ただ、そのようなスキャンダルも、時が経てば一瞬で世間に忘れ去られるという描写は良かった。

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