概要
15年前に文学賞を取って以来、作品が書けないまま取材と称して探偵事務所に務める良多。お金が入るとギャンブルですってしまい、前妻:響子との息子と会うための養育費も支払いが滞っている。
息子:真悟との面会日。金のない良多は、ヘソクリをくすねようと真悟と一緒に団地に住む母を訪ねる。響子は真悟を迎えるため団地まで来て一緒に食事をとる。帰ろうとするも台風が接近し、良多と母は泊まるように説得。台風の夜4人は共に過ごすことになる。
レビューの印象
高評価
- なりたいものになれなかった人生を肯定し、些細な幸せの価値を再確認させてくれる
- 離婚後のなんとも言えない元夫妻関係が面白い(愛憎半ばの元妻と、未練たらたらの元夫)
- 象徴的なセリフを、何気ない会話の中に上手く織り込んでいて、記憶に残る言葉が多い
低評価
- 主人公のダメさ加減に乗れず、周囲のキャラクターの行動も含めて共感できない
- 大きな山場もなく、明確な問題解決もなく、何が言いたいのか分からない
ナニミルレビュー
全体的なレビュー
立派じゃない人生を優しく肯定する見心地のいい映画。
良多の未練を通して描かれる過去への執着。それと対照的に母は諦めの大事さを語る。
ダメになってしまった結婚が残した、真悟というかけがえのない存在。この親子関係を通して、立派じゃなくても、失敗しても、価値はあるんだ、と納得させてくれるストーリーになっている。
離婚した仲である良多と響子の距離感も良い。特に良多にイラつく響子が魅力的。響子は良多を見限りつつも、良多の小説のことを気にかけ、真悟のために良多が本を選んで送ると言うと、素直にお礼を言う。この、見限りつつも情が残っている関係性が良い。
未練タラタラの良多が、久々の家族での食事にはしゃぐ様子も面白いし、台風の夜に夜更かしするワクワク感は、とても良い雰囲気を味あわせてくれる。
そして、樹木希林演じる母の「母」感がすごい。「女が学を持つとねぇ」と話す前時代的な鬱陶しさもありつつ、良多を受け入れる大きさと、家族が訪ねてくるのを待つ切なさ。そして良い孫を持つ羨ましさ。
夢と過去の話、夫妻と親子の話を通して、心地よく前向きになれる作品。
「こんなはずじゃなかった」
この映画のストーリーを一言で言えば、「良多が前妻への未練を断ち切る話」。
そのストーリーの中で、「過去と今」、「今と未来」、「立派さとダメさ」を描きながら、「こんなはずじゃなかった立派じゃない人生」を温かく肯定する。
良多は稼いだ金をすぐギャンブルですってしまうようなダメ男だ。
そんな良多も、少し前までは響子の夫で真悟の父親。15年前は文学賞を受賞した作家。さらに以前は、父の姿を反面教師に真面目な地方公務員を目指した子供だった。
良多は、「過去」の自分が思い描いていた、こんなはずの「未来」から外れて、「今」を生きている。
さらに、響子と別れた「今」にも納得できず、未練タラタラ響子を尾行したりしている。
ストーリーを通して、良多は響子との別れを受け入れ、そんな「今」を受け入れる。結婚していた「過去」も、よりを戻せない「今」も、両方受け入れることで、良多は前に進み始める。
ストーリー中で良多が背負っている過去には「親子」「夫妻」「夢」がある。
この3つの過去は、良多以外のキャラクターも背負わされている。
親子
子供は親を反面教師にする。良多は父親のようになりたくないと思い、真悟も良多に似たくないと言う。
しかし、子供がどんなに嫌がっても、親に似てきてしまうこともある。良多はまさに父親のような息子になっている。真悟は良多の子供の頃と同じく「公務員」が将来の夢だと語る。
一方で、親は子供に期待する。千奈津は娘にフィギュアスケートを習わせ、良多も子供の頃にヴァイオリンを習っていた。
真悟がフォアボールを狙ったと聞いて、「フォアボールじゃヒーローになれない」と響子の彼氏は言う。良多も「プロ野球選手目指さないのか」と慎吾に聞いている。
そういう周りからの期待を通して、人生の「こんなはず」が形作られていく。
親は愛情から、子供が立派な人間になると思って接する。立派な部分(例えば文才とか)を見つけて大喜びする。子供も親の姿を見ながら、自分の理想を夢見て成長していく。
でも、みんながみんな、思い通り立派になれるわけじゃない。
良いところを伸ばし、悪いところは受け継ぎたくない。そんな親子の思いは、いつも成就するわけではない。
夫妻
多くの人が、「結婚すればうまくいくはず」「幸せになれるはず」と思って結婚する。
しかし結婚の「こんなはず」も必ず上手くいくとは限らない。
良多の母も、夫に苦労させられて一生団地暮らしをするなんて思っていなかった。響子も、子供ができれば良多が家庭を大事にしてくれると期待していた。
母と響子の「こんなはず」はすでに挫折し、2人とも諦めて前に進もうとしている。
一方で良多は、響子とよりを戻せば上手くいくはず、と考え、結婚に対する「こんなはず」を断ち切れない人物として描かれている。
良多の務める探偵事務所には、別れた相手の素行調査をしたり、離婚調停中の相手の不倫を調査したりする依頼人が描かれる。理想の結婚とは程遠い現実がそこにはある。
夢
純文学者を目指すという夢は、今現在の良多を安定から遠ざけている。
作家になって、文学賞を受賞し、その後も純文学者として活躍するはずだった良多の「こんなはず」のキャリアは、15年経っても達成されないままだ。
そして、子供の頃に夢見た大人になれていないのは、良多だけじゃない。
母は家庭科の先生になりたかったと話し、響子も実は教職まで取っていたと言って2人で盛り上がる。
千奈津の夫は、部屋のガラス戸を直しながら、「僕、本当はこういうの仕事にしたかったんですよね」と話す。
音楽教室の先生の娘はヴァイオリンを辞めており、先生もテレビの仕事を断った話をしみじみと話している。
こうやってこの映画は、人生の中のいろいろな「こんなはずじゃなかった」を積み重ねていく。
人生は宝くじ
良多と真悟は一緒に宝くじを買う。
呆れる響子に「宝くじは夢なんだ」と良多は語る。
逆に、夢が叶うかどうかは宝くじみたいなものだ。
宝くじを買っても多くの人は外れることになる。人生はそんな思い通りにはいかない。
ラストで、真悟が宝くじを落としてしまう。探しに出る真悟に「どうせ当たんない」と響子が言う。良多が「300円は絶対当たるんだぞ」と言いながら真悟の後をついていく。
「どうせ当たんない」
「300円は絶対当たる」
この会話は、上手くいかない人生でも無価値ではない、というこの映画のメッセージを象徴している。
宝くじの一等を当てる人は少ない。でも300円なら皆当たる。そして、それでもいいじゃないか、という温かさがこの映画には流れている。
この映画のラストは「次はホームラン打とうね」という響子に、真悟が「フォアボールが好きなの」と答える会話で終わる。
ホームランを打ってヒーローになるような人生でなく、フォアボールで地味に役立つような人生でもいいよね、という終わり方。
母がベランダで育てているみかんの木には、花も実もつかない。
しかしある時、青虫がついてそれが蝶になっていた、という話をして、母は「何かの役には立ってんのよ」と話す。
真悟は父に似たくないと祖母に話す。「どうして」と聞かれると、「ママはパパが嫌いだから別れたんでしょ?」と答える。すると祖母は「好きだから一緒になったんじゃない。そして真悟君が生まれたの」と話す。
期待通りじゃないもの、完璧じゃないもの、理想的じゃないものでも、何かの役に立っている。
良多と響子の結婚は失敗に終わったが、しかし真悟という命を生んだ。最後がダメだったからといって、その全てが無駄なわけじゃない。
最後嫌いになってしまったからといって、好きになった気持ちが無に帰すわけじゃない。
時間はなくならずに積み重なっていく。油絵の喩えのように、過去になって見えなくなっても、それはそこに残っている。真悟という存在の中に、良多と響子の過去はちゃんと残っている。
「我が家を持つのは、父が叶えられなかった母の夢だ」と千奈津と良多は話す。
真悟は「もし宝くじが当たったら、大きな家を建てて、おばあちゃんも一緒に住もう」と祖母に語る。
この真悟の気持ちが尊い。
良多は甲斐性なしで、母に家なんて買ってやれない。じゃあ良多が生まれたのは失敗か。
そんな良多が結婚する。その結婚も失敗する。だから2人の出会いはなかった方がよかったのか。
真悟が生まれる。その真悟が祖母の夢を叶えたいと考える。それが叶うかどうかは分からない。人生は宝くじだから。
こうやって家族は連綿と続いていく。成功する人も失敗する人もいる。立派になる人もいればなれない人もいる。
家族の流れの中で見れば、誰でも何かの役には立っている。
そんな前向きさが描かれている。
諦めるから幸せ
この映画のタイトル「海よりもまだ深く」はテレサ・テンの『別れの予感』の歌詞からの引用だ。
台風の日の深夜に、台所で会話をする良多と母。
ラジオから『別れの予感』が流れ、母は「私は海より深く人を好きになったことなんてこの歳までなかった」と言い、良多が「寂しいこと言うなよ」と返す。
母は、「普通の人はないわよ。それでも毎日楽しく生きてる、ないからこそこんな毎日を生きていける」と良多に語る。
誰かのことを深く愛する経験もまた、宝くじに当たるようなことなのだ。
「普通の人にはない」こと。でも、それでも楽しく人生を過ごすことはできる。
この話の前、母は「なんで男は今を愛せないのかねぇ」と漏らす。
「いつまでも失くしたもの追いかけたり、叶わない夢みたり、そんなことしてたら毎日楽しくないでしょ」
この映画では、挫折した過去がたくさん語られる。
しかし、この母の発言を聞けば、それが必ずしも後ろ向きな意味でないことが分かる。
夢が叶わなかったことは、今が最悪だということを意味しない。
同時に母は、過去になったものは戻らないとも話す。死んだ父はもう帰ってこない。死んだ後にあれこれ思ってももう手遅れだ。
だから、今が大事なんだ。
この会話の後、良多は真悟と台風の中、公園で遊ぶ。いつか真悟の思い出になる時間を一緒に過ごす。
そして、その後やってきた響子に「もう決めたんだから。前に進ませてよ」と言われ「分かった。分かってた」と答え、響子への未練を克服する。
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