映画

沈黙 −サイレンス− -白黒つかない世界で選択することの重さ-

概要

舞台はキリシタンが弾圧されている17世紀の日本。弾圧下で棄教したと噂される師を探しに、ポルトガルから日本に入国した2人の神父の物語。

2時間半以上ある長い映画。残酷な弾圧の模様が描かれ、明確な救いもないストーリー。

この凄惨なストーリーの中で神父に対して、ひたすら神父に迫られるのは、厳しい選択の数々。

その中で生きる、神父たちの苦悩が描かれる。

みんなのレビューまとめ

高評価

  • 宗教や信仰について考えさせられる
  • 上映時間が長めで重いテーマではあるが、描かれるテーマに直接関心がない人でも、見応えのある映画になっている
  • 主人公たちの苦悩がずっしりと伝わる濃厚なドラマ

低評価

  • 拷問の描写がリアルすぎて辛い
  • そこまでの宗教心がないので共感できない

ナニミルレビュー

オススメ度:B

こんな気分の時オススメ:重いテーマで考えさせられる映画が観たい時。宗教について個人の視点から描かれたストーリーが観たい時。残酷な現実を経験するストーリーが観たい時。

選択することの重さ

奉行の井上は、単純に神父を処刑することが弾圧にとって逆効果であることを学び、主人公のロドリゴ神父を棄教させるために、あの手この手の残酷なシーンを作り上げる。

それこそ映画後半になってくると、「いやもう分かったよ」と食傷気味になってくるほど、犠牲になる人々の死と、その光景にもがき苦しむロドリゴの姿がひたすら描かれている。

ひたすら繰り返される試練の中で、ロドリゴも神を疑い始めたり、再び深い信仰心を取り戻したり、彼の迷いも繰り返されていく。

信じるべきか捨てるべきか。救うべきか否か。嘘を付くべきか、それは許されないのか。

自らの選択によって人の生死が左右される極限状態。何かを信じると決めることが、いかに重大なことなのかをまざまざと感じさせてくれる映画になっている。

宗教でなくても、誰しも数多くの選択をしながら生きていて、それがアイデンティティを形成していると信じているだろう。

この映画を観ていると、ロドリゴと自分を重ねて、「自分は自分の選択にどこまで耐えられるだろうか」と考えさせられる。

 

グレイな正義

井上は、キリシタンを弾圧し、拷問を命じ、神父らの魂を捻じ曲げ、人間の尊厳を踏みにじっている。

当然、彼のしていることは極悪非道だ。

この暴力行為自体は全く悪だとした上で、井上らの話は、まったく非論理的で間違っているかというと、そう切って捨てられる単純な悪というわけでもない。

現在の感覚で見れば、それは弾圧の理由にするほどのことか、とは当然思うのだが、宣教師の傲慢をズバリ突いている点などには、全く正義がないわけでもない。

また、踏み絵のシーンなどでも、「まあ、形式的なものなんだから、踏めばいいよ。軽く踏めば自由にしてあげられるから。こっちも早く終わりたいし、君たちを憎んでるわけじゃないしさ」と官僚的に対応をしているところも、客観的に見ると現実的に映らないでもない。

キリストを横行させるわけにはいかないから、形式的に罰するけど、心までコントロールできるわけじゃないのは分かってる、という雰囲気。

信心深くない人間としては、頑なに踏み絵を踏まないキリシタンたちより、この官僚的な奉行たちの感覚の方が、嫌に理解できてしまったりするのだ。

総じて言うと、現代人のぼくの感覚からすると、キリスト教をあそこまで弾圧する感覚も理解出来ないし、拷問されても絵を踏めない感覚も理解できない。しかし、何かを強く信じたい気持ちは理解できるし、宣教師の語る真理が傲慢なのも理解できる。

この、両方のキャラクターに理解できるところと理解できないところがあるバランスが、この映画の微妙な正義の不安定さを醸し出していると思う。

 

このグレイな正義を最も印象づけているのが、キーパーソンであるキチジローの存在だ。

キチジローは、自分が助かるために踏み絵を踏み、十字架につばを吐く。そして、その度に神父の元を訪れ、懺悔の言葉を並べて「こんな俺でも救われるか?」と聞いてくる。

ある見方をすれば、キチジローは宗教をわがままに救われるための道具として利用しているようにも見えるだろう。

キチジローは信仰のために拷問に耐えたり死ぬ覚悟はない。キチジローはそんな強い男ではない。しかし、強くない人間を救えない宗教は、果たして人を救う崇高な宗教だと言えるのだろうか。弱い人間を見捨てる宗教は宗教だろうか?

キチジローは弱くわがままだが、彼が苦しんでいないとは言えない。

苦しんでいて、すがってくるなら、神は助けるべきだろうか? 神のために死んだ人と同じように、神を利用するキチジローを助けるのは不平等だろうか? しかし平等を突き詰めて、強い人が救われ、弱い人が見捨てられる世界は、果たして神の望むものだろうか。

「弾圧されない時代に生まれていたら、俺も敬虔なキリシタンとして死ねた」というキチジローの考えは、この映画の中で何よりも本質を突いていると思う。

ロドリゴは「真理は普遍だから真理なのだ」と語る。

しかし、平和にキリシタンでいられる時代と、拷問される時代では、まったく課される試練が違う。平和な時代に敬虔なキリシタンとして死んだ人間が、もし別の時代に生まれていたら、拷問を受けて早々に棄教していたかもしれない。

人間はみんな別々の時代に、別々の環境で生きている。ロドリゴのように強い人間もいれば、キチジローのように弱い人間もいる。魂に再現性がないのだとしたら、どうして誰かが救われて、誰かが救われないのだろう。再現性があるのだとしたら、どうして今生で救われる必要があるのだろう。

 

ストーリーが進むほどに、どんどんアンビバレントになっていく。

キリスト教に興味があってもなくても、ずっしりと何かを考えさせられる映画になっていることは間違いない。

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