映画

はじまりへの旅 -教育に正解はないが、この家族には信念がある-

概要

森の中で自給自足の生活を営むベンと6人の子供達。体を鍛え、狩りをし、作物を育て、本を読み、楽器を弾いて、7人は暮らしていた。

ある日、精神病を患っていたベンの妻が自殺したとの連絡を受けたことから、7人はバスに乗り、街へ繰り出す。

森で文明から離れて生活する子供達から見れば街は奇妙に見える。そして、ベンの義父や妹夫妻からすれば、ベンの教育方針は極端で間違っているように見える。

旅を通して子供達はベンに反抗し、ベンの指示のせいで娘の1人が怪我をしてしまう。

ベンは、自分のやっていることに疑問を持ち始め、孫の養育権を求める義父の要求を飲むべきかどうか悩み始める。

みんなのレビューまとめ

高評価

  • 山でサバイバル生活を送る家族を通して、資本主義社会の中で生きる自分の生活を考えさせられる
  • 幸せに絶対はなく、生きることの多様性を感じさせてくれる
  • 自分の信念と社会との間で葛藤する主人公に共感できる

低評価

  • この主人公に育てられる子供が不憫で嫌な気持ちになる。主人公たちの行動が倫理的に受け入れられない
  • 子供たちの優秀さがもっと発揮される場面が欲しい
  • 主人公たちの生活や行動、その帰結にあまりリアリティがない

ナニミルレビュー

オススメ度:B

こんな気分の時オススメ:家族について考えたい時。多面的な人間関係を描いた作品が見たい時。愛憎半ばの感情を見たい時。自分とは違う生活を観たい時。

良い点!

普通とは違う生活様式を選んだ家族の日常が魅力的に描かれていて、映画冒頭から中盤までの、森での生活風景が見ていて楽しい。環境自体はかなり極端なのだけど、いわゆる、完全に文明を捨て去ろうという極端さや、抑圧的に子供を育てる極端さはなく、文明の利器は依存しない程度に最適に利用しながら、子供の自由もある程度許して生活している。

一見すると、楽しそうな生活に見える。と同時に、この極端な暮らしは果たして子供達のためになっているのか、という視点も同時に描かれ、その葛藤が、そのままベンと子供達のストーリーになっている。

しかし正解なんて恐らくない。ベンと子供達の信頼関係によってハッピーエンドを迎える、静かだが充実感に満ちたラストになっている。

イマイチな点・・・

倫理的に問題のある描写が結構あるので、ベンの教育方針に嫌悪感を感じる人からすると、子供が洗脳されているような印象を受け、かなり胸糞悪い映画になっているかもしれない。

とはいえ、ベンの教育は親戚たちによって非難され、ベンも葛藤を感じているように、彼の教育を全面的に肯定するようなストーリーではない。

そもそも、この映画を見て胸糞悪くなる原因のその「倫理観」だって、今ある常識的な社会が観客に与えた洗脳かもしれない。洗脳のない教育なんてありえないし、どの洗脳が正しいかどうかなんて、簡単に答えが出ることではない。

親の葛藤

この映画のストーリーで描かれるテーマは、「教育」と「信頼」だと言っていいと思う。

ベンと妻は、現代の堕落した社会に失望し、子供達の為を思って文明から離れ、農場や森の中で子育てをしていた。

少なくともこの6人の子供達に関しては、かなり立派に育っている。体も強く、知能も普通に暮らしている子供に比べて非常に高い。そういう意味では、ベンたちの教育は成功している。

だが一方で、ストーリー上の葛藤にもなっているように、この教育はかなり極端である。長男はボゥは、「本の知識を知っているだけで、それ以外のことは何も知らない」とベンに訴えるシーンがある。

旅の経験を通して、ベン自身も自分の教育に自信が持てなくなってくる。

 

自分の教育は本当に子供のためになっているだろうか。

これは、別にベンのように極端な教育をしていなくても、親であれば誰もが頭を悩ませることだろう。

ベンは世間にならわず自分の考えで教育方針を決断しているから、その悩みは普通の親よりより大きいだろう。「みんなもそうしている」「これが常識だ」という言い訳を捨てたベンは、普通の親より大きな葛藤を抱える。

もちろん、この映画を観る人によって、ベンに賛同したり、反感を覚えたりするだろう。

だが、誰も完璧な教育方法なんて知らない。何かが間違えていると指摘するのは簡単だけど、これが正解だとは誰も示すことができない。だって、「正解」の子供なんていないのだから。

 

映画の途中で、小説『ロリータ』について娘のキーラーが考察を述べるシーンがある。

『ロリータ』の物語は、客観的に見ると、男が少女を性的暴行をするおぞましい物語だ。しかし、物語は男の視点で描かれ、読者はこの男に共感し、男の純愛を美しく感じてしまう。だが、それは語り口によってそう思わされるだけかもしれない。なぜなら起きていること自体は絶対に間違っているから。だから、男のことが憎い。だが一方で可哀想にも思う。

キーラーは、だいたいこういう考察を述べる。

ここで、男はベンで、少女は子供達、小説をの読者は映画の観客だと見立てれば、この映画は、この考察を通して、反省的に自己言及していることがわかる。

ベンの子供達への愛情は本物であり、この映画はベンの視点でベンの葛藤を描いているから、観客はベンに感情移入する。だが客観的に見れば、ベンは選択権のない子供達の人生に、自分の考える極端な教育をすることで、取り返しのつかない大きなインパクトを与えている。

ベンの「教育」と男の「性的虐待」を並べるのはかなり極端な気がするが、「他人の意思の思い通りにされてしまう被害者」という風に言えば、構造的には似た問題だ。

その上で、「性的虐待」という半端なく最悪な行いを「教育」になぞらえている所に、教育という困難に直面する苦しさを表現しているのだと思う。

自分の教育のせいで子供に不幸になってほしい親なんて基本的にいないだろう。だが、親の意思とは関係なく、子供は親から否応無く大きな影響を受け、それによって子供の人生は大きく左右される。そういう意味では、教育は常に暴力的な側面を持っている。

 

子供に怪我をさせ、盗みを教えるベンの教育を批判するのは簡単だ。

しかし、子供を甘やかすのも、生きる力を奪うという意味では暴力だし、社会が用意した教育方法に無批判に乗っかるのも無責任だ。

親は子供に全てを教えることはできない。子供も完璧な人間には絶対にならない。その上で、何を教え、何を教えないかは、子供には選択権がない。

「教える」ということは「与える」ということでもあり、「洗脳する」ということでもある。「教えない」ということは「守る」ということでもあり「奪う」ということでもある。だから、親は愛情から子供を守り、与えながら、全く同じ愛情によって暴力的に子供を洗脳し、何かを奪っている。

どのバランスが最高得点だと言って評価できるようなものではない。だから難しいし、みんな悩んでいる。

 

この映画では、子供達のベンに対する信頼によって、ベンの教育が大間違いではないだろう、というバランスで描かれている。

この信頼すらも一種の洗脳かもしれない。しかしそんなことを言い出したら、あらゆる子の親に対する信頼もまた洗脳かもしれない。

とにかく答えはない。答えはないが、現実問題として子供は育っていく。親は「何もしない」ということはできない。そして何をしても子に影響する。どの影響が正解かも分からない。

そんな教育の難しさを、極端な親ベンを通して突きつけてくる映画。

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