概要
父の死をきっかけに、4人で暮らすことになった異母姉妹。
早くに実母を亡くし、自分の居場所を見つけられずにいた末っ子のすずは、父の死後、鎌倉に住む3人の姉に勧められ、一緒に住むことを決意。姉たちと暮らす中で、だんだんと自分の居場所を獲得していく。
そして長女の幸も、ずっと許せなかった自分たちを捨てた両親に対して、違う感情を持ち始める。
レビューの印象
高評価
- 自然、食、行事。鎌倉という街を通して文化の豊さとその中で生きる幸福感を感じることができる
- 姉妹をはじめ、キャラクターたちの優しい人間関係が魅力的で、見ていて温かい気持ちになれる
- すずが自分の居場所を見つけるストーリーを通して描かれる、家族のめんどくささや、微妙な距離感、仲良くなっていく過程が面白い
低評価
- 展開が淡々としており退屈で、何が言いたいのか分からない
- キャラクターの内面が浅く、ケンカや仲直りの人間ドラマも予定調和に感じる
- 主要キャラクターのネガティブな側面があまり描かれておらず、物足りない
ナニミルレビュー
オススメ度:A
こんな気分の時オススメ:穏やかな日常を描いた作品が観たい時。新しい人間関係が出来上がっていくストーリーが観たい時。日本的な空気感に触れたい時。
家族というモチーフ
すずが自分の居場所を見つけていく物語と、幸が両親の弱さを受け入れていく物語を描きながら、なんてことない日常の豊かさを実感させてくれる映画。
あらゆる人生が始まっては終わっていくこと。終わっても消え去ってしまうわけではないことが、思い出話や家財道具、料理などを通して描かれている。
それぞれが違った思い出を持つこと、それを語り合うことで人と人が繋がっていくことを、異母姉妹という関係性、家族というモチーフを通して心地よく描いている。
現在進行形の姉妹の関係。過去から未来へ連綿と続く家族の関係。その両方を描きながら、1人の人間として生きることと、世界の一部として生きることの両方を映し出し、人間のかけがえなさを感じさせるストーリーになっている。
すずのアイデンティティ、姉妹として、家族として
少女すずは、幼くして母を亡くし、父の再婚相手とも馴染めないまま、自分が何者なのかをはっきり掴めないまま生きていた。
父の葬儀で見せるすずの姿は、しっかりしているがどこか違和感がある。
それを見抜いた幸が「一緒に暮らさない?」と聞くと、ほぼ即決で「行きます」と答えるすず。
香田家に来たすずは、しっかり者の長女から、4姉妹の末っ子へと立場をガラリと変える。
すずがこの姉妹の一員として、少しずつ自分のアイデンティティ(居場所)を獲得していく様子が、この映画のメインストーリーになっている。
そして、この「居場所」が、「姉妹の一員」という現在の物語として描かれると同時に、「家族の一員」という歴史の流れとしても描かれている。
姉妹として
鎌倉に越してきたすずには、大きく2つの居場所ができる。1つは香田家、もう1つは学校(サッカーチーム)だ。
すずは姉妹の末っ子として香田家と交流するのと同時に、家族だからこそ話しにくいことを話せる相手として、サッカーチームの友達(特に風太)と交流する。
この2つの場所を繋いでいるのが、三女の千佳。千佳は一番歳も近く、サッカーチームの活動に参加していることもあって、すぐにすずと仲良くなる。
次女の佳乃はしっかり者のすずとは正反対のタイプ。押しの強い性格で「さん付けはもうやめよう」と自分から切り出し、クール・アント的立ち位置ですずとの距離を縮める。
しかし、長女の幸は、すずと一番歳が離れていて、かつ似た者同士であるがゆえに、しばらく妙な気まずさを引きずる。
千佳や佳乃と打ち解けた頃、病院に来た二ノ宮が「明るくて元気な子ね。よく笑うし」と言ったのを「そうですか?」と意外そうにしている幸。
新しい暮らしに慣れてきたすずが、幸に対してだけはまだ心を開いていないことを、この会話がよく現している。
すずが香田家の一員になっていくストーリーは、ほぼ、幸との関係を深めていくストーリーと重なっている。
しっかり者同士だった幸とすずが、最初に「姉」と「妹」という関係性に落ち着くのは、すずが梅酒で酔いつぶれた場面でのことだ。
(ちなみに、この騒動の直前、帰宅した幸が庭で積むのはおそらく「ナンテン」。ナンテンには「難を転ずる」という俗信があるそう。)
酔ったすずが、3人の前で初めて両親に対する本音を吐露する。
その後、酔いを覚ましたすずを叱る幸に対して、すずは「だって、自分ちで作った梅酒飲んでみたかったんだもん」と口ごたえする。
ここで初めて、すずは自然な幼さを幸に見せ、幸とすずの緊張がほぐれ始める。
しらす丼を食べる場面で、幸が佳乃とケンカを始めそうになると、すずと千佳は一緒に「いただきまーす!」と言ってケンカを遮り、幸は千佳に注意するのと同じように、すずに対して「すず!かきこまない!」と行儀を注意する。
こうして、姉と妹という2人の関係が安定し始める。
さらに2人には、「親の都合で子供時代を奪われた」という共通点がある。だから2人は姉妹であると同時に、同じ苦しみを抱えた仲間でもある。
幸の恋人(不倫相手)である椎名がアメリカ行きを幸に相談し、幸がそのことを佳乃と千佳に話す場面がある。
すずも廊下でその話を盗み聞きしており、怒って居間から出てきた幸はすずに気づいて、2人の間に気まずい空気が流れる。
すずは、自分の母親が3人の姉から父を奪ったことに申し訳なさを感じており、その気持ちから、「奥さんがいる人を好きになるなんて、お母さん良くないよね」と幸に話してしまっていた。
幸はまさにその母と同じ立場におり、すずは幸の話を聞いて、不用意なことを言ってしまったと後悔する。
イラついて飲みに出ようとする佳乃を呼び止めて、すずは幸について3人で話し合おうと提案する。
ここは、初めてすずが主体的に姉妹をまとめる場面であり、受け入れられる側だったすずが、初めて能動的に姉妹の一員として行動する場面だ。
すずが酔い潰れて弱みを見せ、そこから妹として振る舞えたのと同じように、ここでは幸が弱みを見せ、それがきっかけとなって、すずが幸を支える仲間として行動する。
この姉妹関係の中で、すずは両親の話を上手くできずにいる。(すずは代わりに、この話を風太にしている)
姉妹の中で、唯一ほとんど父のことを知らない千佳にだけ、すずは父としらす丼を食べた思い出話をする。
多分、すずが父のことを幸たちに話しづらいのは、父に対しての思いが、自分と姉たちとでは違うだろう、と考えているからだと思う。
そしてすずの場合は、自分の母が姉たちから父を奪ったという歴史もあり、その違いが罪悪感としてのしかかっている。
だからこそ、そもそも父を知らない(奪われていない)千佳に対しては父のことを話せるが、幸や佳乃に対しては申し訳なさから話しにくい、という壁がある。
すずが完全に姉妹の一員になるのは、この壁を乗り越えた時だ。
ある日、幸とすずは一緒に山に登る。
山の上から2人で叫び、お互い同じ苦しみを持っていることを共有する。
そして幸が「すずはここにいていいんだよ」と言ってすずを抱きしめる。
この場面ですずは幸との間にあった最後の壁を克服する。
ラストシーンでは、すずが「お父さんも同じこと言ってた」と3人に父の思い出話を自然と話し出す。
こうしてすずは、完全に4人姉妹の末っ子になる。
家族として
「姉妹」という現在の交流が描かれるのと並行して、「家族」という過去からの流れも同時に描かれる。
それは主に物や行事によって描かれている。
4人が住む古い日本家屋。そこに植えられた55年目の梅の木。仏壇。祖母が漬けた10年物の梅酒。祖母の味ちくわカレー。しらす丼。祖母の七回忌。
すずは、鎌倉にきて、これらの歴史に少しずつ触れていく。越してきて早々、千佳が祖父と祖母のことをすずに教える。
すずはまず梅酒を飲み、次の梅酒作りに参加する。
自分は七回忌に出るべきなのかと悩み、幸が余計なことを気しないで出なさいと言ってすずを参列させる。
幸は自分の浴衣をすずにあげ、自分は祖母の浴衣を着る。浴衣は脈々と続く家族の繋がりの象徴でもある。
さらに、幸はすずの身長を家の柱に刻む。
こうしてすずは、香田家の時間の流れの中に加わっていく。
風太がすずに言う「その浴衣、結構似合ってるよ」という言葉は、風太の控えめな褒め言葉であると同時に、家族の歴史の中に、ちゃんとすずが繋がっているよ、という意味にも取れる。
すずは、住む場所、食べる物、着る服、行事を通して、連綿と続く家族の歴史の中にも、自分の居場所を見つけていく。
姉と母の成長
すずが居場所を獲得していくストーリーと同時に、幸や佳乃、そして実は母の成長も描かれている。
佳乃
佳乃は、ダメ男に惹かれるちょっとだらしない女として登場するが、男にフラれ、新しい部署に配属され、他者の厳しい現実を目の当たりにして、仕事に真剣に取り組み始める。
佳乃は、幸の恋人の話を聞いて「お父さんと同じ、弱くてダメな人じゃん」と言って憤る。
しかし、その後すずの提案もあって幸と自分から仲直りし、さらに「このうちなら大丈夫だよ」と幸のアメリカ行きを受け入れる。
だらしなかった佳乃は、しっかり者へと成長し始めている。
母
しばらく音沙汰のなかった母。
娘を放っておいて、あまり立派な母親とは言えないかもしれないが、彼女は祖母の七回忌にようやく顔を出す。
ずっと顔を出さなかった、という事実の方を見ればダメな母親かもしれないが、それでも七回忌に来る決心をしている。
椎名と幸が話す場面で、「私たちに合わせる顔がないって言ってたんだって、お父さん」と幸が言う。
恐らく、母親も同じ気持ちだっただろう。
結局会わないまま死んでしまった父親と、その死の直後に会いに来る決心をした母親。
4姉妹のストーリーの裏で、この母も実はしっかりと成長している。
幸
そして最も大きく描かれているのは、幸の成長である。
幸はしっかり者だが、両親のことだけがどうしても許せない。自分たちを捨てて女と出て行った父親。自分たちをおいて札幌へ行った母親。
七回忌で戻ってきた母とも、家について母が勝手な提案をしたことからケンカになってしまう。
幸は佳乃に「ムキになっているだけだ」とたしなめられ、すずの「不倫なんて良くない」発言もあって、自分のやり方に反省があったのか、母と一緒に墓参りに行くことにする。
梅酒を懐かしむ母のために、祖母が残した最後の梅酒を瓶に詰めて渡し、さらに「たまには帰って来たら」と母に言葉をかける。
こうして、ダメな母のことを少しずつ受け入れ始める。
さらに、あまり出来が良くない人だと思っていた病院の同僚が、実は患者のケアについてすごく丁寧な処置をしていると知って感心する。
そしてラストでは、「お父さん、ほんとダメだったけど、優しい人だったのかもね」と佳乃と千佳に話す。
ここで幸が手に入れているものは、「自分にとっての誰かと、他人にとっての誰かは違う」という視点だと思う。
自分にとって母や父が憎らしい人でも、他の誰かにとってはまた違う人なんだ、と言う視点。
自分からは不出来に見えていた同僚が、患者から見ると優しく丁寧な人だったのと同じように。
そしてこの「自分にとっての誰か、誰かにとっての誰か」という視点の差は、すずが3姉妹に対して感じていた両親に対する思いの差、という問題とも重なる。
3人にとっては父を奪った女。でも、すずにとっては愛する母親。
すずが山で「母さんのバカ。もっと一緒に居たかったのに」と本心を漏らす。幸はそれを受け止めて「お母さんのこと、話していいんだよ」とすずに言う。
ストーリーを通して幸は、頑なに自分の視点にしがみつくのをやめて、少しずつ周りの人の視点を理解し始める。
家族として受け入れるということは、その人が持っている人間関係や思いまで含めて受け入れることなんだ、という重たさがここで描かれている。
大叔母が幸に言った「妹だけど、家庭を壊した人の娘なのよ」というセリフは、まさにそのことを表していた。
父親も母親も、姉妹それぞれに違った視点で見えている。実はすずと3姉妹の間だけでなく、幸、佳乃、千佳もそれぞれ、父と母に対して違う感情を抱いている。
そして、「まあ、他人からはこう見えていたのかもね」と言って、自分以外の視点を認めることができるようになることで、幸は成長する。
自分から見ると「弱さ」に見えることが、誰かにとっては「優しさ」である。
幸は椎名に対しては、ずっとそういう風に見ていた。そして父に対しても、そういう風に見ることができるようになった。
終わること。終わったことを伝えること
この映画は、すずが新しい日常に馴染んでいく様子を描きながらも、この日常もいつかは終わるのだ、という予感を感じさせるストーリーになっている。
母が家を売る話をすると、幸は怒る。しかし佳乃はそれも悪くないと言い、ずっと4人で暮らせるわけじゃないと幸に話す。
そして55年目の梅の木は、だんだんと採れる梅が減ってきている。梅酒作りという家族の伝統も、ずっとは続かないことを予感させる。
そして、姉妹のことを昔から知る二ノ宮が突然病気でなくなる。子供の頃からずっとそこにあった人や物が、あっさりとなくなってしまう。
こうしてなくなっていってしまうものと同時に、残ったものもまた映し出される。
それは10年物の梅酒であったり、浴衣であったり、写真であったり、料理であったり、思い出話である。
千佳はすずに祖母の思い出話を聞かせる。そして、父の思い出話を聞かせてとすずに言う。
幸はすずに「お母さんのこと、話していいんだよ」と言い、仙一はすずに「お父さんの話聞きたくなったら、こそーっとおいで」と言う。
今は絶えず終わっていき、しかし消え去っていくわけではない。
すずは、去っていった父が残していったものでもあった。二ノ宮はすずは「宝物」だと話す。
そしてそのすず自身も歴史を持ち、思い出を持ち、誰かの思い出の一部になっていく。
二ノ宮の葬儀を終えて、幸は「最期に、なに思い出すんだろう」と姉妹に問いかける。すずは「いっぱいあるよ。いっぱいできた」と答える。
日常は少しずつ変わっていく。その日常の中でいろいろなことが思い出として残っていく。
最期が近づく二ノ宮が「綺麗なものをちゃんと綺麗って思えて嬉しい」と言っていたことを、仙一が姉妹に話す。
すずも、最期に父が同じことを言っていたと3人に教える。それを聞いて佳乃が「いい人生だったんだね」と言う。
人生は始まっては終わっていく。その中で綺麗なものを綺麗と感じられるような人生を過ごすことが、「いい人生」だとここでは話されている。
すずが初めて梅酒を見たとき、瓶を持ち上げて眺め「うわー、綺麗」と言う。幸も母に渡すために梅酒を瓶に移したときに匂いをかいで瓶を光にかざして眺め、それを受け取った母も瓶を持ち上げて「いい色ね」と言っている。
幸は丁寧に庭を手入れし、帰宅したときにナンテンを摘んで家に入っている。
すずも千佳も、散った桜の花びらを手のひらに乗せている。海に行ったすずは貝殻を拾い、佳乃も昔は拾っていたと二ノ宮が話す。
さらに、夏の暑さ、冬の寒さ、秋の紅葉、梅雨の雨、春の桜、初夏の梅の実、夏の花火と季節が巡っていく。
この世界の中で生きていて、豊かでないことの方が難しそうだ、と思わされるように、鎌倉の景色が映し出されていく。
終わっていく人生と、いつかは終わる日常、日常の中にある当たり前の景色。これらを同一線上に描くことで、この当たり前の景色こそ本当に貴重なものなんだ、と実感させられる。
今は過ぎて、思い出になる。
この思い出の中にあるのは、この当たり前の景色。懐かしんで語られる思い出は、いつかは当たり前だったけど、今はもうない日常。
今はもう思い出の中にしかいない父だけが共通点だった3姉妹とすず。その思い出だけが、4人が家族であることの証だった。
でも、ラストですずが言うように、過ぎ去っていく日常を通して、家族である証が「いっぱいできた」。新しい思い出が積み重なっていく。それは言葉によって伝えられていく。そして伝えられることで繋がっていく。
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