概要
ある「へや」で少年ジャックとその母親ジョイが暮らしている。実は、そこは監禁部屋であり、ジョイは7年前に誘拐され、それ以来部屋に監禁されて生活している。
ジャックが5歳になった頃、ジョイは脱走の決心をつける。母子は協力し、なんとか監禁部屋からの脱走に成功する。
生まれて初めて外の世界にでたジャックは、最初は戸惑いながらも、だんだんと普通の生活に馴染んでいく。一方でジョイは、理不尽に7年間もの時間を奪われたことに憤り、また世間や家族からさえ疎外感を感じ、だんだんとメンタルを病んでしまう。
レビューの印象
高評価
- 脱走成功が結末ではなく、その後の人間の葛藤に焦点を当てている
- 極端な事件を描きつつも、普遍的な親の苦悩を描いている
- 人生のままならなさ について、考えさせられる
低評価
- 脱走後、母の物語に焦点が当てられているが、子の物語も見たかった
- 展開とキャラクターの変化について、想像通りで驚きがなかった
- 暗い話で、モヤモヤする
ナニミルレビュー
オススメ度:A
こんな気分の時オススメ:大きな事件の被害にあってしまった個人の苦悩を観たい時。リアリティのある事件を描いた作品を観たい時。母の苦悩を描いた作品を観たい時。絶望から立ち直るドラマを観たい時。母子の絆を観たい時。
良い点!
前半と後半で大きくジャンルが分かれており、それぞれがしっかりと見応えがある。前半は監禁状態から脱走するスリラーであり、後半は家族関係や親子関係を再構築していくドラマになっている。
前半は、この異常な状況の中で子供を育てるジョイの工夫や苦労、そして一歩も外に出たことのないジャックの持つ不思議な世界観が興味深く描かれている。
そして脱走後、前半で描かれるジャックの世界観が一新され、彼が世界を新鮮な目で捉えていく様が感動的に描かれる。
この映画が巧みなのは、同じ経験をした母子を描きながら、それぞれのその後が正反対に描かれることだ。
脱走後、ジャックの喜びとは対照的に、ジョイの方は失われたものの大きさを直視して苦しんでしまう。ジャックにとっての希望が、ジョイにとっては絶望に見えてしまう。
しかしラストに向かって、ジャックの存在や行動がジョイを救い、ジョイに「これから」という希望を持たせる展開がとても感動的だ。
イマイチな点・・・
脱走までと、脱走後をほぼ半々で描いている作品なので、どちらかに比重を置いたストーリーを期待すると中途半端に感じてしまうかもしれない。
ハッピーエンドを期待していると、妙にモヤモヤした雰囲気で嫌になるだろうし、もっと鬱々とした映画だと期待してみると、わりと順調に社会に適応していく被害者2人の様子に納得できないだろう(加えて、犯人のその後や、ジャックを受け入れられない祖父など、暗いモチーフはどんどんストーリーから排除されていくし)。
基本的には、ジャックとジョイの親子愛を軸として、ジョイが前向きさを取り戻していくストーリーだ。
生後5年間監禁されたジャックの視点
この映画の中でとにかく感動的なのは、生まれて初めて外界を目にするジャックの体験だろう。
空と木の枝と電線が視界いっぱいに広がっているだけの普通の映像が、あんなにも感動的に見えるなんて、まさにこの映画の設定とストーリーを通してこそだ。
監禁されているジョイは、外に出ることが許されないジャックのため、外界があることを隠して生活している。
部屋の外にはすぐ宇宙空間が広がっており、テレビに出てくる人々や動物や物や街は、全て偽物だというファンタジーを話して聞かせる。
もしジャックが外に出たいとせがんでも、ジョイはその望みを叶えてやることができない。だから、そんな望みで苦しませないように、そして、この理不尽な状況の苦しみを感じさせないジョイの優しさが表れている。
ジョイの脱走計画は、まずこのファンタジーを解くことから始まる。
本当は世界があるんだよ、犬も猫もいるんだよ、おじいちゃんとおばあちゃんの家で過ごせるんだよ。
こんな当たり前の話が、ジャックにはすぐに受け入れられない。
例えば、自分が子供だとして、急に親が「本当にドラゴンがいるんだよ。本当は魔法が使えるんだよ」なんて言ってきたら、びっくりするだろう。
そのジョイの言葉は、ジャックにとってはワクワクする話のはずだ。しかし、ジャックにとってあまりにも突飛な話であり、自分が大事にしてきた世界を壊すような話に、「そんな話は聞きたくない!」とジャックは怒り出してしまう。
ジョイにとっては暗く、汚く、自分の人生で最悪の空間であるこの部屋が、ジャックにとっては世界の全てなのだ。
自分にとっては最悪のものが、愛する子供にとっては人生の全て。この矛盾によってジョイの脱走計画は困難を迎える。
しかしジャックは、半信半疑ながら、ちょっとずつジョイの話す世界を受け入れていく。
そして、脱走し、生まれて初めて囲いのない世界を目にした瞬間、目の端から端まで満たされる世界を見た瞬間、ジャックは脱走のことを忘れ、世界に圧倒される。
ここでジャックが経験していることが、映像によって表現されている。
世界の広大さ、顔に感じる風、スピードと遠心力、走っても走っても壁につかない大地、自分にぶつかる障害物、母でも誘拐犯でもない人の姿。
「脱走」というサスペンスフルな展開に重ねて、「外に出て、世界に触れる」という行為の驚きがこれでもかと表現されている。
このジャックの経験は映画の後半でも、ある種の希望として描かれ続ける。
初めて母以外の人間と関係を構築し、友達ができ、犬を散歩する。海を歩き、スケートをし、家族団欒を過ごす。
ジャックに初めての経験を与えることで、ジョイは失われた経験の穴を埋めていく。
ジャックの世界を広げることが、ジョイの世界に希望を持たせる。ここに親子愛が描かれていく。
そして面白いのは、ジャックにとっては、あの監禁部屋さえ思い出の場所であるということだ。
ジャックは時々、監禁されていた部屋を懐かしく思い出し、「良い場所」として祖母に話して聞かせたりする。
ジャックはだんだん、この本当の世界へと脱皮していくが、「へや」はジャックの故郷として残り続ける。
ジャックは自ら「あの「へや」を尋ねよう」と母に提案することで、この大きな矛盾をぶち破る。
部屋を訪ね、思い出にさようならを言って回る。
「ドアが閉まってないと「へや」じゃない」というジャックに、「ドアを締めてほしい?」とジョイが聞く。ジャックは「やだ」と答える。
こうしてこの「へや」に対してジャックは区切りをつける。開かれた可能性をそのままにして、ジャックとジョイはその「へや」を後にする。
青春を失い、母としての自我も不安定なジョイ
ジャックの成長と同時に、このストーリーのメインになっているのは、ジョイにとっての脱走後の世界だ。
ジャックにとっては新鮮で可能性に満ちた世界だが、ジョイにとっては失われた時間を象徴するような世界だ。
ジョイは高校時代のアルバムを見て、旧友の姿を懐かしむと同時に、自分と違ってその後も普通の人生を生きたであろう彼女たちの人生を想像して憤りを覚える。
そして、再婚相手と仲良くする母の姿を見て、「自分がいなくても人生を楽しんでいる」という狭量な見方で母に怒りを覚えてしまう。
さらに、母の教育通り、困っている人に優しく接した結果、誘拐されてしまったと母を責める。
これらは正しい態度とは程遠いが、17歳からの7年間という、人生の中でも重要な期間を監禁されて過ごしたジョイの気持ちに寄り添えば、何かを攻めなければやってられないという彼女の態度は理解できる。
ジョイは「ハッピーなはずなのに・・・」と苦悩を漏らす。
常識的に考えて、監禁が不幸で、その解放は幸福のはずだ。ジョイもそう思っている。にも関わらず、ジョイは幸福ではない。
この行き止まり感がジョイを苦しめている。
「監禁」という分かりやすい問題が見えていた状況は終わり、ジョイは漠然とした不安や不幸感(これ自体は、多くの人が共感できる感情のはず)が蔓延する日常に帰ってきた。
求めていたはずだった場所が、思っていたほど自分を幸福にはしなかったという絶望感がジョイを襲っている。
母が「あなたには休養が必要よ」というと、「休みたくなんかない!」とジョイは答える。
ジョイは、失った時間を取り戻したいという不可能な願望に心を覆われてしまっているから、休むことでこれ以上時間を失うのをよく思っていない。それが余計にジョイを疲れさせ、ジョイを追い込んでいる。
さらに、ジョイはテレビ局の取材を受けることで、母親という側面からも追い込まれてしまう。
インタビュアーは辛辣にも、「ジャックを病院などで保護してもらうように犯人に頼むことはしなかったのか?」と聞く。
ジョイは、そんなことは思いも寄らなかったという面持ちになるが、同時に、確かにそういう選択肢もあったのかもしれない、という表情を浮かべる。
この質問によって、ジョイは母親としての自分にも疑いを持ってしまう。
ジョイにとってジャックは、失われた7年間の中にある唯一の得たものだった。
しかし、それはジャックにとって良いことだっただろうか。結局ジャックの養育は自分のエゴだったんじゃないか。この7年間は、自分にとっても、そしてジャックにとっても全くの喪失であったんじゃないか。
ジョイの心には、そういう思いが去来したいに違いない。
そして彼女は、本格的に精神を病んでしまう。
ジョイの境遇は一般的ではない。異常な経験をしている。
しかし、自分より上手くいっている他人に対する羨望や憤り、人生に対する焦燥感や、生きることに漂う不安。こういった感情は、誰もが共感し得るものであるだろう。
そして、母親として、自分のしていることが子供にとってベストのことなのか、という悩みもまた、多くの親にとって普遍的な悩みなのではないだろうか。
そう考えると、この映画は極端な事件を描いていながらも、ジョイの苦悩を通じて、普遍的な苦しみや悩みをちゃんと描いている。
そして、そんなジョイを救ったのはジャックのある言葉だった。
少し回復して家に戻ってきたジョイは、「私は良くないママだね」と言って泣く。それを聞いたジャックが「でもママだよ」と答える。それでジョイは「私はママね」と自信を持つ。
良いか悪いかという評価や、ジャックの人生にとって良かったか悪かったかという仮説の話を飛び越えて、何がどうあっても「でもママだよ」と答えるのが感動的だ。
ここに、「もしも」を考えて思い悩んでも仕方がない、という前向きさが開かれる。
もしも7年前誘拐されなかったら、という「もしも」と、もしもジャックを病院に保護させていたら、という「もしも」が、「でもママだよ」という言葉によって両方一気に解けていく。
「もしも」はない。
2人は自由になり、そして愛し合っている。これが確実にあることなのだ。そしてそれはとても尊いことだ。
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