概要
ニューヨークからロンドンへ向かう国際線。航空保安員のビルは、一般客を装ってビジネスクラスに搭乗する。
大西洋の真ん中で、ビルのケータイに不信なメッセージが届く。それは20分以内に1億5千万ドルを口座に送金しなければ乗客を殺すという脅迫のメッセージだった。
ビルは乗務員や機長に経緯を話し、捜査を始めるが、犯人の言った通り、乗客から死人が出てしまう。その後も20分ごとに乗客を殺していく犯人。
さらに、犯人はビルに濡れ衣を着せるように犯行を進め、乗客や乗務員たちの間に、ビルに対する不信感が募っていく。
観る前ポイント
主人公が犯人に翻弄されるサスペンス。周囲に理解されず孤独に頑張る主人公。差別や独善性など社会の縮図的な側面がある。
レビューの印象
高評価
- やや難のある展開もあるが、飛行機という密室、犯人とのゲームを通して、謎が謎を呼ぶ仕掛けに引き込まれる
- 正義感の強い主人公が、状況的にも精神的にも追い詰められていく緊張感のある展開と、クライマックスにかけてのカタルシスにグッとくる
- キャラクターたちの疑心暗鬼が、単なるアクションサスペンスに良いスパイスを与えている
低評価
- 結論に向かって予定調和的・ご都合主義的に展開していくストーリーに説得力がない
- 主人公が愚鈍すぎてイライラする
- 内面や価値観の掘り下げが浅く、感情が伝わってくるわりにドラマが弱い
ナニミルレビュー
ポジティブ
主人公ビルの行動を完全に読み、ビルを完全に手玉に取る犯行がまず面白い。ビルは翻弄されながら捜査を続けるが、どれも裏目に出てしまう。ビルが追い詰められていくもどかしさがよく描かれている。
ビルの強引な捜査によって高まる乗客たちの不信感と、どんどん行き詰まっていくビルの捜査もスリリングに描かれている。
表面的なストーリーの面白さに加えて、乗客との関係性を通して社会風刺もしており、クライマックスにかけてメッセージ性を強く打ち出しているのも良い。
深い作品というわけではないが、サスペンスアクションとして良作であり、かつメッセージ性もちゃんと含まれている。素晴らしいエンタメ映画。
ネガティブ
ストーリー内で説明されていない展開がいくつか残っている。
なぜトイレでタバコを吸っていると知っていたのか。機長はいつ殺されたのか。ケータイの操作は結局誰がやっていたのか。
もちろん、脳内補完することはできる(十分にビルを下調べしていた、遅効性の毒を使った、上手いことビルの目を盗んで送っていた…)が、まあ、描かれていないのでツッコミどころになりかねないと思う。
また、ご都合主義的展開も目立つ。
例えばザックに頼んで犯人のケータイをハッキングさせる展開も、かなりジェン頼みになっていて、「綿密な計画」になっていない。
そもそも「犯人の予告通り20分ごとに人が死んでいく」という点こそサスペンスを盛り上げているのだが、その展開にすごく説得力があるかといえば、「いや、ビルがこう振舞ってたら失敗してたんじゃない?」というツッコミは常に頭をよぎる。
この映画は、犯行の手口の綿密さを見る映画というより、メッセージを描くためにサスペンスを使っている映画だと思う。なので、推理や計画の完璧さを期待しすぎると肩すかしを食う。
ビル=権力者(独裁者)
主人公である航空保安官ビルの行動は、権力者の行動を象徴している。
ビルは銃(暴力)を持ち、乗客(市民)を捜査する特権を持っている。
ストーリー全体を通して、ビルの行動は変わっていく。ビルの乗客に対する態度は、不信から信頼へと変わっていき、それによって捜査が進展し、全員で知恵を出し、協力することで事件を解決へと導いていく。
この映画のストーリーは、権力が「愚かな市民」から問題を隠し、手前勝手に問題を解決しようとすることへの批判を描いている。
ビルはまず、身内(航空保安官)だけで問題を解決しようとする。しかしその身内が汚職保安官である。彼は自分の特権を使って犯罪に手を染めている。
その後、ビルはごく限られた「信用できる人(=インナーサークル)」に協力を頼み、乗客を統制して捜査を進める。当然乗客はビルに不信感を示す。
飛行機内でどんどん人が死に、ビルの素性が報道番組によって乗客に知らされた結果、乗客たちはビルを捕まえようと画策する(反乱)。
ビルはそこでようやく事件の全貌を話し、乗客に協力を求める。乗客たちはビルを信用し、ビルに協力する。というのもビルの横暴は「乗客を救いたい」という気持ちからだったと、乗客が冷静に理解してくれるから。
そして協力の結果、最悪の事態を免れ、ビルの使命が果たされる。
映画を見終わってから考えると、「最初から乗客に事情を話して協力してもらえば良かったのに」と思えてくる。
しかしストーリーを見ている最中は、ビルの行動がそこまでおかしいとは思わない。
ビルがテロリストからの脅迫を「自分が解決すべき問題」だと認識するのは自然だし、下手に危機感を煽るようなことをせず、こっそりと事件解決に努めるのは、保安官として合理的に感じる。
この映画は、「権力者」であるビルを、観客が感情移入する主人公にすることで、「権力者は悪だ」という単純な悪口を避けて、「権力者には権力者の考え方があるんだ」と観客に実感させるように描いている。
そう描いた上で、「でもやっぱり、ちゃんと情報をオープンにしてみんなで考えた方が良いよね」という着地になっている、というバランスが良い。
そのビルと対比的に描かれるのが、見知らぬ乗客でありながらビルが最初に協力を求めるジェンだ。
ジェンはひたすらビルを信用し、彼の捜査に協力する。途中ビルがジェンを疑った後でさえ、ジェンはビルに協力し続ける。
途中で、2人が会話をするシーンがある。
ジェンが、6時間飛行機に乗り続けているのも悪くない、とビルに話す。
「でも制御不能だ」と言うビルに、「制御なんて幻想よ」とジェンは答える。
これは、完全なコントロールなんて権力者であってもできるはずがない、という意味を含んだセリフである。
ビルは、人を制御しようとするから、不信感が先に立ってしまう。ジェンは制御が幻想だと思っているから、人をまず信用する。
このやり取りの前に、ジェンは飛行機に乗ることについて、「誰にも邪魔されず、ただそこにいるだけ」と言う。
ほとんどの人は悪いことなんてしていない。ただそこにいて、誰にも邪魔されずに自分の時間を過ごしたいだけだ。
ビルは捜査のため、「ただそこに座っているだけ」の乗客に命令し、身動きを封じ、身体検査をする。そしてこの独裁者的な捜査は上手くいかない。
その後ビルは、ジェンに謝り、報道が暴いた自分自身の問題についても乗客に正直に話し、そして今起きている問題の全貌もオープンにする。それでようやく乗客もビルを信用し、みんなで知恵を絞って対処方法を考える。
ここでビルと乗客が協力し始めるシーンは、ものすごくカタルシスのあるシーンになっている。
この出来事は理想論っぽくはある。しかしストーリーとしては上手くバランスを取っていると思う。
というのも、実際、乗客の中にはテロリストが紛れているし、テロリストの仕掛けた爆弾は、爆発してしまう。
みんなが助け合って協力すれば、悪人はいなくなってハッピーエンドというわけではない。
でも、じゃあ、ビル1人で捜査していたらもっとマシな結果だったのか。間違いなくそれはないだろう。
この映画が描いているのはこのバランスだ。
信用さえすれば全てが上手くいくわけじゃない。もちろん悪い市民もいる。でも権力が市民に情報を隠して、勝手に問題解決を図った方が上手く収まるなんてこともない。
権力と市民、知恵を出し合って協力した方が、ベストではなくてもベターな方に着地できるのではないか。
そのくらいのバランスを、エンタメ的なカタルシスを持たせながら、アクションサスペンスとして上手く描いているのが素晴らしい。
犯人の主張(※大きなネタバレを含む)
ビルは感情移入可能な権力者(独裁者)で、それと対比的に描かれている市民がジェンだ。
では犯人のテロリストの立ち位置はどこだろうか。
テロリストは、ビルよりさらに「制御」を求めている人物だ。むしろ、市民が国を信用していることに問題がある、と感じている人間だ。
このテロリストが求めているのは、「安全」という抽象的な目的だ。その抽象的な目的のために、目の前にいる人々を殺している。
「正義」という抽象的な目的の元に、戦争が行われているように。
このテロリストは、同時多発テロで父親を亡くした男だ。
テロに対する復讐のため軍隊に入り戦争に参加するも、そこに答えを見出せなかった。さらに、帰国すると母国アメリカは何も変わっておらず、国は嘘の「安全」を国民に信じこませ、国民もそんな嘘の中で安穏と暮らしている。
この主張自体は、全く理解不能というわけでもなく、下手をすると「その通りだ」と思ってしまいかねない。
「このハイジャックは簡単だった」とテロリストは話す。
例えば、「これがもし自分が乗った飛行機だったら」と考えると、たしかにもっと厳重な管理や制御が必要なのかもしれない、とも思ってしまう。
しかし、これはある種のマッチポンプだ。
そもそも、このテロリストがハイジャックを起こさなければ、実際に飛行機は安全だったのだ。
ビルは、「君は国民を守るために戦争で戦ったんだろ」とテロリストを諭す。すると「俺は国を守るために戦ったんだ」とテロリストは答える。
このテロリストの返事からは「人間」が抜け落ちている。
テロリストは「国」という抽象的なものをより良くする為、目の前にいる人間たちを蔑ろにしている。
このテロリストには「人間が国を作っている」という発想がなく、「国の中で人間が暮らしている」という発想しかない。
だから、国を良くするために、目の前の人間を殺すことを正当化できる。
このテロリストは、「父親」という目の前の人間をテロによって失っている。
それはとても悲惨な出来事だ。
その苦悩を解消するため、テロリストを殺そうと戦争に参加したが、それはできなかった。
そして今度は、テロを防げなかった「国」を恨み、「国」を変えるためと称して見ず知らずの人々を(誰かの父親を)、今度は自分が殺そうとしている。
このテロリストは、ただ苦悩を循環させているだけだ。
同時多発テロは悲惨な事件だ。そして、それは他国のアメリカに対する不信感から起きたもののはずだ。
そしてそのテロは、アメリカ人の中に、他国に対する不信を生み、さらに母国アメリカに対する不信をも生んだ。
この事件の犯人も、まさにそういうテロの被害者だ。
じゃあ、どうすればいいのか。
まず、信じるしかないのではないか。不信の悪循環を断ち切るには、まず信じてみるしかないのではないか。
そのことを示しているのが、ビルというキャラクターの行動である。
ビルとテロリストは、「安全を守りたい」という志においても、市民に不信感を持っている点においても、共通点を持ったキャラクターだ。
だが、抽象的な「安全」に固執したテロリストに対し、ビルは目の前の人々の安全のために最善を尽くす。
結果、ビルは途中で市民を信用する必要性に迫られる。本当の意味で、抽象的ではなく具体的に安全を守ろうと思えば、そこでは人を信用するしかない。
人を信じず抑えつけると、その相手も不信を募らせて別の事件を起こす(ビルが乗客に襲われたように)。
だから、不信は安全をもたらさない。テロリストの主張する「安全」は究極の不信をベースにした発想であり、それが実現しても、国は安全にならない。
偏見と多様性
不信感を払拭して周りを信用し始めるのはビルだけではない。
他の乗客たちの言動の中にも、かすかな不信感が散りばめられている。
そして何より、この映画を観ている観客も、乗客や主人公のビルに対してさえ不信感を持つ。
飛行機の中は小さな社会になっている。
そこには白人もいれば黒人もいる。アジア系もいるし中東系もいる。ビジネスマンもいれば医者も警察もいる。静かな人もいればおしゃべりな人もいる。感じの良い人もいれば、マナーの悪い人もいる。
ビルの後ろの席の男女は、周りの迷惑を省みず機内でいちゃついている。エコノミークラスに乗っている黒人男性は機内で見かけた女性の写真を撮って「イイ女だ」と言って友人に送っている。
機長が倒れた時に、ビルが中東系の医者を呼ぶと、白人警官が「そいつをコックピットに入れるのか?」と差別的な発言をする。
そして誰も信用できない状況で、ビルはナンシー以外の乗務員を信用せず、副操縦士カイルを問い詰めると、カイルは自分を疑っているのかと怒り出す。
ビルや乗客たちが疑心暗鬼に陥る中、この映画を観ている観客も、当然犯人探しをしている。
「反抗的なこの人?」「いや、マナーの悪かったこの人?」
キャラクターの中から犯人を探そうとする観客のこの態度こそ、まさに、この映画が描いている「不信感」そのものだ。
マナーが悪いからって犯罪者じゃない。口が悪いからって犯罪者じゃない。はっきり反論するからって犯罪者じゃない。
にも関わらず、何か事件が起きると、そういう根拠にならない直感で人に疑いの目を向ける。
この映画が描く「不信より信用」というメッセージは、フィクションの中の他人事ではなく、映画の観客もそのメッセージの中に巻き込まれている。
機内には多様な人がいる。きっと嫌な印象を持つ人もいるだろう。でもその直感的な好き嫌いで、善人か悪人かを判断するのは間違っている。
事件の展開、犯人の考え、主人公の行動の変化、周りの乗客や乗務員たち。
全てが、「信用と不信」というテーマに沿って、上手く構成されている。
そして、それがわざとらしくなく、サスペンスアクションとして展開していく面白い映画だ。
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