映画

ブルー・リベンジ -家族を愛する普通の男による復讐殺人と泥沼-

概要

ある日、ホームレス生活を送るドワイトは、知り合いの警官から、自分の両親を殺した犯人が司法取引によって釈放されたと知らされる。ドワイトは寝床にしていた廃車を修理し、犯人が出所する刑務所へと車を走らせる。

刑務所で待ち伏せていると、犯人は家族の運転するリムジンによって出迎えられる。ドワイトはその車を後を追い、家族が入ったバーのトイレで、ナイフを片手に犯人と対峙する。

レビューの印象

高評価

  • 静かな演出で、恐怖や迷い、復讐の不毛さなどを描き出している
  • 普通で地味な男が人を殺すというギャップが胸に来る
  • 銃社会のヤバさを感じられる

低評価

  • リベンジものとしては、主人公の憎しみが弱く、行動も行き当たりばったり
  • たびたび登場する留守の家や尾行に気づかない復讐相手、病院での治療など、主人公に都合のいい展開が目に付く
  • 極力説明を省くような演出なので、観客の想像にゆだねられる部分も多く、やや分かりにくい

ナニミルレビュー

ポジティブ

静かで削ぎ落した演出

復讐劇ながら、派手ではなく、静かに進み、説明的な描写も少ない。ストーリーも「分かりやすい勧善懲悪」ではなく、復讐の不毛さも同時に描いているので、この説明を極力省いた演出と上手くマッチしていると感じた。

冒頭、廃車(実は廃車ではないけど)の中で暮らす主人公:ドワイトの生活をセリフなしで淡々と描くことで、この映画全体の抑えた雰囲気を手っ取り早く伝えている。

さらに、ドワイトが留守の住居に侵入して風呂に入っていることで、後々、何度もドワイトが留守の家を見定め利用したり、敵家族の家を手際よく物色する展開に説得力を持たせている。

ゴミ箱を物色して食べ物を食べたり、廃車の中で暮らしているホームレスの生活を描きながらも、どこか優し気な雰囲気や、読書をする様子などから、内面はしっかりしていそうな印象を与え、感情移入しやすくしている。

ある日、知り合いの警官から、自分の両親を殺した犯人が釈放されたという情報を聞き、ドワイトは廃車と化していた車を修理して走らせる。

ここで、整然と手際よく車を修理するさまを描くことで、長年準備していた感をかもすのと同時に、それまでの退廃的な描写から一転、ドワイトが強い意志を持って行動するギャップが、復讐への強い印象を作っている。

「長年の準備」と「強い意志」。車の修理シーンだけでこの2つを明確に描くからこそ、ストーリーが展開していくと生じる「迷い」や「後悔」もずっしりと感じられる。

つまり、どんなに強い意志があったとしても、だからといって迷いや後悔がなくなるわけではない、という切なさがある。

普通の男である主人公

主人公ドワイトの「普通さ」もこの映画をとても興味深いものにしている。

この映画は「凄腕殺し屋映画あるある」を使いながら、ドワイトの普通さをややコミカルに描いている。

序盤の、車の修理を手際よく済ませて見せる「凄腕感」(殺し屋ものでよく見られるワクワク感)とは裏腹に、その後ドワイトは普通の人間であることが分かっていく。

まず、銃の入手失敗が描かれる。

普通に店で買うか、いや、お金がないから盗もうとしつつ、防犯カメラを見て諦める。そして、夜の駐車場で他人の車を物色、車内に置いてあった銃を盗むも、防犯ロックがかかっていて結局使えずに捨てる。そして、丸腰のまま犯人を追いかけることになり、結局その辺にあったナイフで犯人を殺すことに。

犯行後、逃走前に犯人家族のリムジンのタイヤをナイフでパンクさせる。これ自体は賢い行為なのだが、パンクさせる際に手が滑って自分の手をナイフで切ってしまう。さらに、そのあと車のカギを現場に落としたことに気づき、自分でパンクさせたリムジンに乗って走るという、ややコミカルな展開になる。

またストーリーが進んで、敵にボウガンの矢で足を打たれた際も、用品店で治療道具を買い、ペンチを使って自分で矢を抜こうとする。この「自分で治す」展開も殺し屋ものでサバイバル能力の高さを見せるためによく使われる場面だが、ドワイトは痛みによって諦め、結局、病院にいって手術してもらっている。

また、偶然気絶させ、トランクに閉じ込めていた敵の1人と交渉するシーン。友人に頼んで銃を用意し、相手に銃を突きつけながら交渉する圧倒的有利な場面であるにも関わらず、あまりにも簡単な嘘に騙され形成逆転されてしまう。

ラストで敵家族の家で待ち伏せをする際も、周到に準備しながら、結局何度も居眠りしてしまう。

殺し屋もので見慣れている「あるある」な展開を描きつつ、ドワイトがそれをうまく貫徹できない様子を描くことで、彼の「普通さ」を上手く描き出している。

すごくリアルというわけではないけれど、確かに、普通の男が復讐心だけで行動を起こせばこうなるんだろう、という説得力がある。

ドワイトの弱さを見せながら、哀愁やコミカルさもあって、この映画のチャームポイントになっている。

そして何より重要なのは、ドワイトがスーパーマンであれば、この映画で描かれている切実な迷いや後悔が生じる隙がないはずだということ。

この映画の面白さは、それ自体は共感できる復讐心から起こした行動が、どんどん泥沼になっていき、復讐相手の家族とどうにか対話して解決しようとドワイトが試みる点だ。

勧善懲悪的な気持ちよさを描くのではなく、泥沼になりながらも止め時を失って復讐を続ける狂気を描くのでもなく、ドワイトが最後まで相手と話し合って、止め時を模索している「曖昧さ」を描いているところが、この映画の肝だと、個人的には感じる。

それを描くためには「もう終わりにしたい」というドワイトの「普通さ=弱さ」を描かなければいけない。

そして、ドワイトが最後まで敵家族と話し合って解決しようとするさまを描くことで、結局、弱く普通の人間(つまりほとんどすべての人)は、このような問題を、暴力で解決するか、コミュニケーションで解決するかを選択しなければいけないという歯がゆさを描きつつ、そしてその選択も、常に自由に選べるわけではないことも描いている。

それが反転して、コミュニケーションが取れることのありがたさを感じさせる。

人殺しは怖い

これも、ドワイトが殺人からほど遠い普通の人であることから生じているのだけど、とにかく、「目の前にいる人間を殺すのは怖い」という感情がありありと伝わってくるのがとても良い。

殺される方が怖いのは当たり前だけれど、この映画では、この銃を撃てば目の前にいる人が死ぬんだな、という恐怖感が伝わってくる。

この恐怖感は、全体的にしっかりと描かれるゴア描写から生じている部分もあるし、ドワイトが絶対に1度は相手を殺し損ねるというアクションの描き方からも生じている。

最初のナイフでの殺人。ドワイトの最初の一撃は相手の首をかすめ失敗する。もみ合いの末、頭を刺して相手を殺す。相手は血をふきながらゆっくりと死んでいく。ラストでもうひとり殺す場面も、最初の一発は胴体に当たり、苦しんだ姿を見せた後に頭を撃って殺す。

ドワイトが人を殺すシーンは、どこもスッキリとは描かれず、とにかくいやぁな感じで描かれている。これによって、暴力は怖いという当たり前の事実がこちらに伝わってくる。

一方で、この映画内で気持ちよく殺人が行われるシーンがひとつある。

敵に銃を奪われ、絶体絶命となったドワイトを助けるため、友人のベンが敵をヘッドショットで撃ち殺すシーンだ。

このベンの殺しと、ドワイトの殺しの差は何か。

ターゲットまでの距離の遠さと、手際の良さである。

ベンはやすやすと人を殺すヤバい奴である。にもかかわらず、この映画内ではドワイトを助ける心優しき友人であり、頼れる男として描かれている。このねじれは、これが「復讐」を描いた映画だから生じている。

ベンはドワイトに銃の使い方を教える場面で、「感情的になると失敗する。相手と何も話すな。ただ銃を向けて撃て」と優しく語り掛ける。

コミュニケーションを行うと、暴力が上手く機能しない、とベンは話している。だからやっぱり、この映画が描こうとしているのは、この問題なのである。感情や対話を忘れることで、人は簡単に人を殺せるのかもしれない。

そして、主人公のドワイトはそうしない。最後まで相手と対話しようとし、会話しながら相手と撃ち合いになる。最初に比べれば銃の撃ち方は器用になるし、肝も据わって落ち着いている。

しかし、最後の最後まで引き金を引くことをためらっている。相手は声が届く目の前にいて、手際は悪く、攻撃を始めてから殺すまでのラグ=迷いがある。

この近さと迷いの中に、最後の救いがあったかもしれない、と感じさせるラストシーンになっている。

家族を通した対立と中間

家族愛は良いものとして描かれることが多いと思うけれど、この映画ではその家族愛こそが「醜い報復」を招いている、という形で描かれている。

ラストで、最後まで止め時を模索して、敵家族の意志を確かめようとするドワイトだが、敵家族が「自分の姉を襲うつもりだ」と知ったドワイトは1人殺す。その後、相手家族が「分かった姉には手を出さない」と言っても、「もう信じられない」とドワイトは答える。この対話を、隠れていた敵家族の末っ子の発砲が止める。

このラストでは、対話と暴力が繰り返される。発砲によって対話が止み、対話によって発砲が止む。対話と暴力は同時には行えない。

「復讐をやめる理由はたくさんある。止めない理由は一つだけ」とドワイトは語り、それは家族(姉)を守ることだった。姉への愛が、ドワイトが復讐をやめない理由になってしまっている。それは共感できる理由であるからこそ、この不毛な争いの厄介さを的確に表している。

この復讐劇のきっかけは、2つの家族の父親と母親の不倫。そして、この復讐劇から生き残るのは、敵家族の末っ子1人。この末っ子は、不倫の際に生まれた子供、つまりドワイトの異母兄弟だ。

つまり、この殺し合いは、家族に対する愛と執着から生じ、どちらの家族にもルーツがある末っ子だけが生き残る。分断され敵対する家族のちょうど中間にいた末っ子だけが、どちらの家族にも愛着を持ち、そしてドワイトと敵家族両方の承認を得て、銃を捨て、現場から去っていく。

このラストには、愛から不毛な争いが生まれること、愛から希望が生まれること、両方が含まれていて、暗さと希望がないまぜになるアンビバレントな余韻を生んでいる。

ネガティブ

ツッコミどころがないわけではなく、例えば、ホームレス生活の描き方にしてもやや形式的というか、本当はもっとえぐいだろうみたいなことは思うし、長年放置してた車がそんなちゃんと走るかなぁ、とも思う。

そして、最初の車での尾行シーン。さすがに距離詰めすぎだろ、と思うし、そんなにぴったりくっついて走ったら不審に思われるのでは、と思わずにはいられない。というか、もっと無関係の車も走らせればよかったのでは、と思った。2台しか走ってないから余計に気になる。

あとちょうどいいところで留守の家があったり、その家も、この家の感じだったら防犯設備とかついてるのでは、とも思う。

病院で治療される展開や、敵家族がドワイトの車に乗って襲撃に来ること、友人のベンが助けてくれる展開なども、ややドワイトによって都合が良すぎるようにも感じる。

あと、ラストで撃ち合いになって同士討ちになるわけだけど、あんだけ部屋の中を探索して武器を捨てるシーンを描いていたのに、あんな分かりやすい位置に銃が隠してあったのはさすがに違和感があった。

まとめ

都合が良すぎるのでは、と思う部分もなくはないが、別にそんなことはいいか、と思って観られる。そこじゃないだろ、みたいな。

そんなことより、ドワイトの境遇に感情移入し、後悔や迷いに共感し、クライマックスで何とも言えない気分にさせられる、そういうストーリーがグッとくる。

サスペンスフルな展開でラストまでワクワクするし、ハードボイルドなストーリーをソフトな主人公でやるというギャップの面白さもある。殺し屋あるあるが失敗し続けるというブラックなコミカルさもありつつ、暴力の嫌さをしっかりと感じさせる。説明を省いた演出ながら、さまざまなメッセージを読み取れる内容でとても面白かった。

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