映画

ヤング≒アダルト -思い出という幻想を捨てて、今の自分にプライドを持つ-

概要

都会で高層マンションに1人で住む37歳のメイビスは、自身が執筆しているヤングアダルト小説が打ち切りになり、その最終原稿を執筆し始めていた。そこに、高校時代の恋人だったバディから、出産報告とパーティーへの招待メールが届く。

バディに未練があったメイビスは、久々に地元に戻ることを決意。彼の妻からバディを奪うために行動し始める。

地元に戻ったメイビスは、彼女と対照的に高校時代日陰の存在だった男マットに偶然再会する。メイビスとマットは妙に気が合い、2人は度々一緒に酒を飲む。その度にマットは復縁計画をやめるようにアドバイスする。しかしメイビスはこのアドバイスを聞かず、バディをデートに誘い、田舎の町に場違いな格好で食事をする。

メイビスは着々とバディとの交流を深め、バディもメイビスをホームパーティーに招いてくれる。そこで確信を得たでメイビスは、自分と一緒になるようにバディに迫る。

みんなのレビューまとめ

高評価

  • やや極端な主人公ながら、その言動にイタく共感でき、感情移入しながらドラマを楽しめる
  • アラフォーで人生に閉塞感を感じ始め、地元に戻ったらそこにも馴染めず・・・、という状況に親近感を覚える
  • 幸福についての価値観を考えるきっかけになる

低評価

  • イタい主人公が不憫な目にあうストーリーで、暗い気持ちになる
  • 笑えるコメディを期待したら、ブラックコメディで笑えない
  • 救いのないストーリーで後味が悪い

ナニミルレビュー

オススメ度:A

こんな気分の時オススメ:イタい主人公を観たい時。自分の生き方を見つめ直したい時。地元が懐かしくなった時。孤独を感じた時。

良い点!

キャリアに暗雲が立ち込めてきた主人公メイビスが、過去の栄光にすがって地元の元彼を誘惑しに行く、という痛々しいストーリー。その題材自体が面白く、そのストーリーを絶妙な空気感のコメディに仕立てているのも素晴らしい。

この痛々しいメイビスの姿を、元彼とその妻の視点、自分と元彼の親の視点、メイビスとは違うカーストにいた女性たちの視点、冴えない男子高校生だった男の視点、メイビスに憧れていた後輩の視点から描き、「青春のその後」を苦々しく描いている点も痛快。

そして、過去に囚われていた女性が、その過去との対峙を通して、その鎖を断ち切っていくという王道の面白さがありつつ、ラストのラストでさらにツイストをかけ、意地悪で小気味よい着地で映画が終わっているのも最高。

凝り固まったプライドを捨てて新しい価値に気づく、というよくある暖かいドラマではなく、過去を切り捨てることで、今の自分の価値を再確認するという高飛車さがカッコいい。「ファック・マーキュリー」というセリフは超名ゼリフであり、メイビスが書いている小説の結末はひどすぎて笑える。

イマイチな点・・・

主人公メイビスに共感できるかどうかで、映画の終わり方に対して大きく評価が分かれると思う。というのも、ラストは善良な終わり方とは言えないから。

まず、高校時代に大人気でチヤホヤされながら過ごした美人女性という時点で、多くの人にとっては共感しづらいキャラクターなのは間違いない。そこをカバーするため、この映画冒頭は、彼女のボロボロの生活を描いている。

そこをクリアすれば、映画ラスト手前で、メイビスが苦難に直面し、大きな葛藤を抱え、自分の人生を反省するところまでは、多くの人にとって受け入れやすいドラマだと思われる。

が、そこで終わっておけばいいものを、ラストのラストで裏切られる。

多分、地元や自分の所属するコミュニティや暖かい人間関係が好きな人からすると、このラストは胸糞悪い。

メイビスの痛々しい哀愁

充実した青春時代を送り、キャリア的にも成功して都会に住んでいるメイビス。

しかし、映画は冒頭から、彼女の惨めな姿をたっぷりと描いている。ひどい顔で歯を磨き、コーラをがぶ飲みし、孤独にベランダで食事をとり、パソコンのキーボードは汚れ、インク切れのプリンターのタンクに唾をかけて再利用する。

この残念な姿を見ているからこそ、ストーリーを通して描かれる、プライドが高くて高慢なメイビスに嫌悪感を抱かなくて済む。

 

彼女は、元彼夫妻からの出産報告のメールをきっかけに、元彼バディとよりを戻すべく地元に帰る。

ここで描かれるのは、地元の旧友たちと都会で働くメイビスとの温度差。

ある意味で言えば、美人でオシャレな服を着こなし都会でキャリアを築くメイビスは、他から傑出し憧れられてもおかしくない。

しかし、残酷なほど時間が流れ、もう誰も高校生の頃のように彼女を持ち上げたりしない。それどころか、メイビスは地元では浮きまくって、行く場所行く場所で気まずい空気が流れている。

その上、子供が生まれたばかりのバディとよりを戻そうというメイビスの計画は、どう考えても空気が読めておらず、実現の可能性は0に等しい。

にも関わらず、過去の栄光ゆえ、自信に充ち満ちているメイビスの振る舞いがイタい。イタくて面白い。

メイビスにとっては、地元民の冷たい視線は、プロムクイーンだった頃に受けた嫉妬の眼差しとそう変わらない。

親切心から「やめとけ」と忠告する旧友マットの言葉も、ダサい同級生の余計なお世話にしか聞こえない。

メイビスは、「バディなら分かってくれるはずだ」という一点を目掛けて、いい歳になっているにも関わらず、バディの前で女子高生のようにぶりっ子に振る舞う。

その姿は憎たらしく、滑稽でありながら、同時に、彼女の生活を目の当たりにしている観客としては、可哀想にも感じて、やるせない感情が込み上げてくる。

ボンクラ男マットとの友情

メイビスは地元に戻り、目的のバディに会う前に、偶然同じ高校だったマットにバーで出会う。

最初こそ「誰?」という反応を示すメイビスだが、ロッカーが隣だったという話で彼のことを思い出す。

最初こそ全く興味なさそうに振る舞うメイビスだが、なんだかんだで、その日はマットと飲み明かしている。

スクールカーストの中では天と地にいて、高校生の頃なら絶対に2人きりで酒を飲む機会になんか恵まれそうにない2人だが、十数年の時を経た今、意外にも気があってしまっている様子が、出会いのシーンから演出されている。

バディに対して痛々しくぶりっ子をするメイビスが、暴行被害にあったマットの話に「アソコはどうなったの?」と直球で下品な会話するシーンが印象的で、常にプライドと装飾品で対面武装しているメイビスが、全く素の状態でコミュニケーションを取っている様子が描かれている。

 

バディを落とすため画策するメイビスの元に、事あるごとにマットが登場する。

「いつもどこかにいて気味が悪い」と話すメイビスだが、なんだかんだでメイビスも事あるごとにマットの家を訪ねたり、酒を飲むのに付き合わせたりしている。そして、全く自然にマットの部屋にお邪魔したり、車の中でつまらない冗談を言って下品にバカ笑いしたりしている。

全く気兼ねなく話すことができ、そして唯一メイビスのためにアドバイスをしてくれるマット。

 

さらに、ある日バーで飲んでいると、マットと同じく高校生の頃に怪我で障がい者になってしまった男が登場する。

車椅子の彼は完全なポジティブパーソンで、いわゆる健常者が障がい者に望むような明るく前向きな発言をし、みんなに愛されそうなキャラクターだ。

マットは、彼の怪我のせいで自分の怪我は誰にも省みられなくなったせいで、彼が嫌いだという。

メイビスとマットは、注目を奪われた苦しみを共通点として持っていた。

そして、マットはバディら夫妻の出産祝いにもマットは参加していない。恐らく付き合いは少なく、ガレージにこもって孤独に過ごしている。

マットもメイビスと同じく、地元の幼馴染たちに距離感を感じており、疎外された生活を送っている。

 

ストーリーを通して、この凸凹ながら共通点のある2人の間には奇妙な友情が芽生えていく。

この友情ドラマもこの映画の見ドコロのひとつだ。

小道具づかいとストーリーテリング

メイビスが地元へ帰る際、何度も何度も同じカセットテープを巻き戻し、同じ曲を聞いているのが印象的だ。

これは、彼女が古い過去を忘れられず、同じ過去が繰り返される(バディと復縁する)ことを望んでいる事の表現だろう。

この音楽の演出で、メイビスの異常な執着を表す手法も面白いが、この曲は、映画中盤でも大きな意味を持って使われている。

このバディとメイビスの思い出の曲を、バディの妻がやっているママバンドが歌うのだ。しかもめちゃくちゃ下手くそ。この下手さ加減がまた憎たらしい。

一応、プロとしてヒット小説を書いているにも関わらずキャリアに悩んでいるメイビスと、完全に素人の趣味でしかないバンドを地元の小さなステージで披露し幸せそうにしているバディの妻。

ここでは、「目標が高い、都会、苦悩」という人生を象徴するメイビスと、「そこそこの目標、地元、幸せ」という人生を象徴するバディの妻が、対比的に描かれている。

と同時に、バディの妻は、この思い出の曲の意味を上書きしている。と、少なくともメイビスは受け取っている。

青春の学校一の美女との思い出の曲から、妻の下手なバンドの曲へ。バディの中で書き換えられてしまっているに違いない、と焦るメイデンは、ひどい下ネタを言ってバディを当惑させる。

この1つの曲の使い方を取っても、この映画のストーリーの巧みさがよく分かる。

 

メイビスがバディのお気に入りだったと話す「大人のサイダー」を、2人が再開した時に注文すると、バディは「大学の時以来飲んでいない」と話す。ここで、2人の間にはすでに大きな隔たりがあることが示される。

メイビスがバディの家を訪ねた時、地べたに座るバディと妻に対して、メイビスはソファに座って上から見下ろしている。ここでも、同じ空間にいても同じ場所にはいないメイビスの疎外感が現れている。

また、彼女はせっせとネイルサロンに通って爪を磨きながら、コーラをがぶ飲みしケンタッキーでやけ食いしている。堕落した内面と取り繕われる外面がここに現れている。

 

彼女が仕事で書いている小説は、彼女の人生で現に起こっていることをネタに、高校生の物語として書かれている。この小説の書かれ方を通して、彼女はまだ精神的に高校生を卒業できていないことが描かれている。

「どうしてバディが好きなんだ?」と聞くマットに、メイビスは「あの頃の私は最高だった」と話す。結局メイビスは、バディが好きなのではなく、バディと一緒にいた頃の自分を諦めきれなかったのだ。

そして、彼女のキャリアそのものであるこの小説が打ち切りになる焦りから、彼女は地元に戻り、そこで過去に区切りをつけ、本当の意味で高校を卒業する。それが、映画のラストで書かれる小説の結末とも一致するラストシーンは、笑える内容でありながら、ストーリーの終わり方として心地いいものになっている。

そして、メイビスが再出発をするのに使う車はボロボロだ。そこに、メイビスの再出発は高校生のようなピカピカの旅立ちではなく、ようやく目覚めたアラフォー女性の再出発である事が示される。希望を感じさせながらもピリッと辛く突き放すような、絶妙のバランスで映画が終わる。

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