概要
ダヴィッドは、若い頃に謝礼金目当てで数百回の精子提供を行なっていた。時が流れ、ある日、ある弁護士がダヴィッドの家に現れる。彼によれば、ダヴィッドの精子を使って生まれた子供が500人以上おり、そのうちの142人が、精子提供者の情報開示を求めて病院に訴訟を起こしているという。
ダヴィッドは情報開示を阻止するため、友人の弁護士に相談する。友人は弁護の準備を進め、ダヴィッドはその子供達のプロフィールを受け取る。ダヴィッドは出来心からプロフィールを見てしまったことで子供達に興味を持ち、それから、父親とは名乗らず、こっそり子供達の元を訪ね、彼らを陰ながら見守る日々を始める。
レビューの印象
高評価
- 重めなテーマだが、テンポもよく、キャラクターもポジティブで、温かい気持ちで楽しく観られる
- 軽薄だった主人公が、自分の子供たちと接することでだんだんと成長していく様子に心打たれる
- 血縁や親子関係、人間の多様性について考えさせられる
低評価
- 美しい話すぎて、リアリティがない
- 子供たちの育ての親があまり描かれないことに違和感がある
- 良い話だが、それ以上の深みはない
ナニミルレビュー
オススメ度:B
こんな気分の時オススメ:現実にあり得るもしも系のコメディが観たい時。良い人が登場する温かいコメディを観たい時。苦しい葛藤がなく能天気に気楽なコメディを観たい時。
ポジティブ
普通の男に、生物学上の子供が500人以上できるという、現代ならではのトンデモ設定が面白い。(実際にあった似た事件から着想を得ているそう)。
そして、ダメダメだけど、人の良いダヴィッドの葛藤と、子供達とのハートウォーミングな交流。それを通しながら、「子供を持つ」ということの嬉しさや充実感を描き出していくようなポジティブな雰囲気に満ちたハッピーな作品。
ネガティブ
ダヴィッドと子供達との関係性に障害がなさすぎるようにも思う。
ダヴィッドは借金を抱えていたり、妊娠したパートナーに捨てられそうになったり、いろいろと問題の多い男ではある。けれど、この映画のメインで描かれている、100人以上の子供達たちとの間にはあまり葛藤がなく、子供たちはダヴィッドほぼ無条件に受け入れ、ダヴィッドも子供達に愛を感じている。
状況が状況だけに、もっとネガティブな感情を持ってダヴィッドに接してくる子供がいても不思議ではないけど、そこはストーリー上排除されて、とにかくハッピーな部分だけで押し切られているような違和感はあった。
また、さすがにご都合主義だと思うような展開もある。例えば、ダヴィッドがそれと知らずに集団訴訟の集会に参加するところなど。参加するときに気づかないはずがない。そして、ラストの借金の解決にしても、やや安易な展開のようにも感じる。
子供達を見守るダヴィッド
突然、自分に子供が500人以上いると言われたダヴィッド。最初は我関せずの態度をとるのだが、好奇心で1人の子供を見に行ってしまったことから、子供達に会いにいく日々が始まる。
ダヴィッドは、訴訟を起こした子供達のプロフィールを元に、子供達に会い、自分の正体は明かさず、彼らの困りごとを解決してやる。
ある子供は俳優を目指しており、オーディションに行きたいのに、バイトのせいで行けない。ダヴィッドは「俺が店番をしてやる」と言って、彼をオーディションに行かせる。
ある子供は、薬物中毒の問題を抱えており、ダヴィッドは彼女を病院へ連れていく。その後、彼女の生活を見守り、彼女の自立を影ながら支える。
ダヴィッドはそんな風に、子供を訪ねては、彼らの抱える問題を少しだけ手助けをし、子供達の人生を少しだけ明るくする。
「500人の父親にはなれないが、守護天使にはなれる」とダヴィッドは話し、自分ができる範囲で子供達の人生に積極的に関わっていく。
このダヴィッドの態度は、1つの模範であるかもしれない。
500人の人間に対して責任を完全に持つことなんて、どんな人間であったとしても到底できない。かと言って、完全な責任を取れないから全く関わらない、という態度は果たして正しいのか?
確かに、ちゃんと関われないことに、中途半端に首をつっこむのは良くないのかもしれない。
しかし、「できる範囲で何かしてあげよう」というダヴィッドの態度は、確実に子供達の人生に何かを与えている。
確かに、子供と暮らし、子供を育てている親に比べれば、ダヴィッドのやっていることは中途半端で上っ面の行為かもしれない。
映画中盤で、妊娠した恋人が虐待の末に子供を死なせてしまった母親に対して共感を示す場面があるが、ここは子育ての困難さ示す場面になっている。
この困難さを踏まえた上で、しかし、どんな親だとしても、100パーセント子供の人生に責任を持つことなんてできない。結局親は、してやれる範囲で子供の人生に何かを与えてあげることしかできない。そして子供も、自分の人生を全て親に与えてもらうことなんてできない。
親子ってそもそもそういう関係であり、そういう意味では、ダヴィッドがやっていることも、普通の親がやっていることも、程度の問題でしかないのかもしれない。
ダヴィッドの行為は言ってしまえば軽薄だ。
しかし、この軽薄さが生み出すポジティブな雰囲気がこの映画の魅力だ。
そんなに難しく考えすぎず、相手を思う自分の気持ちをストレートに表現してみてもいいんじゃないか。そんな風に思える軽快なストーリーになっている。
ダヴィッドの家族と恋人
そんな特殊な家族を持つダヴィッドにも、当然普通の家族がいる。
兄弟、父親、妊娠した恋人が、ダヴィッドの生活を取り巻く人物として登場する。
この2つの家族が、そのまま映画のメインストーリーとサブストーリーになっている。
一方では訴訟を起こされ、一方では不真面目なダヴィッドに振り回される父親たち。そしてダヴィッドは、一方では成長した子供達と接しながら、一方では恋人のお腹の中にいる新しい命に想いを馳せる。
最終的にダヴィッドは、その500人の子供達を取るか、自分の親兄弟を取るかという選択を迫られることになる。
この選択の解決のされ方も、とてもこの映画らしくポジティブなもので、またダヴィッドらしいものになっている。
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