概要
2児の母ケイトは、3人目の子供を流産し、今でも悪夢にうなされている。ケイトと夫ジョンは、ケイトの心の穴を埋めるために、養子を取ることに決める。
2人が孤児院で出会ったのは、子供達に混ざらず1人で絵を描く静かな少女エスターだった。彼女は素敵な絵を描き、受け答えもしっかりしていて、2人はすっかり彼女を気に入り、養子に迎えることに決める。
しかし、エスターはだんだんとケイトに対して冷たい態度を取るようになり、2人の兄妹たちも恐怖で支配するようになる。しかし、周囲の大人やジョンはエスターの異常さを見抜けず、むしろ娘であるエスターを危険視するケイトの方を責める。
過去に精神を病み、アルコール中毒だった過去を持つケイトは、ジョンに自分の言葉を信用してもらえず、精神的に追い詰められていく。さらにエスターは口封じをしようと子供達を襲い始める。
レビューの印象
高評価
- ホラー要素に現実的な裏付けがあり、単なる猟奇もの、オカルトものとは違う面白さがある。ホラーというよりサスペンス映画
- 周囲の人間を支配していくエスター の恐ろしさにゾッとする
- 伏線やどんでん返しのあるしっかりとしたストーリーで、ラストまで退屈せずに観られる
低評価
- 大人たち(特に夫)が馬鹿すぎてリアリティがなく、イライラする
- 人間関係の信頼感のなさ、特に母親が追い詰められる展開が、観ていて不快
- ホラー映画らしい不気味さなどを期待すると、肩透かしを食う
ナニミルレビュー
ポジティブ
タイトルやあらすじから、超常現象や呪い的な物を想像してしまうが、実際はサスペンスフルな殺人鬼物。
ホラー映画らしい暴力的な描写ももちろんあるが、どちらかというと、エスターが周囲の人を掌握し、ジョンや精神科医を味方につけ、兄妹を恐怖で服従させ、ジリジリとケイトを追い詰めていく心理攻撃が大きな見せ場になっている。
スプラッターやモンスター系の恐怖やショックではなく、家族の信頼を内側から破壊していくサスペンスドラマとして展開していくストーリーも、いわゆるワーキャーだけのホラー映画より突出した点。
さらに、ではなぜエスターという少女にこんなことができるのか、という点も、論理的な根拠を持たせ、その根拠がさらにエスターというキャラクターの深みにもなっていて、とても良い。
結末を知ってから、また序盤のシーンを見返すと、エスターのセリフや表情が全く違って見えてくる。
ネガティブ
「いわゆるホラー映画」を期待しすぎると、肩透かしを食らうかもしれない。追いかけられたり惨殺されたりという恐怖ではなく、どちらかというと精神的、心理的にストレスを感じるストーリー。
そして、周りがまんまとエスターの思惑に引っかかりすぎている、と感じてしまうと、かなりシラけてしまうと思う。その辺りは、彼女がかなり上手く立ち回っているのだ、という前提で観ないと、緊張感が解けてしまうだろう。
また、証拠品の処理の仕方や、ケイトがワインを処分しなかった点など、ご都合主義的に感じる展開はいくつかある。
ケイトの苦悩
この映画、1番観客の胸にくるのは、流血や暴力描写からくる恐怖感よりも、追い詰められるケイト(妻であり母)のやるせない苛立ちではないかと思う。
この映画はエスターの残虐さからくる恐怖以上に、追い詰められるケイトの苦悩をメインの感情として描いていると言っていい。
そこが、普通のホラー映画と少し違っているところで、いわゆる恐怖やショックを求めて観ると、ガッカリしてしまうかもしれない。
ストーリーを通して徐々に明らかになることだが、ケイトは過去にいろいろと問題を起こしている。そのことが、周囲のケイトに対する信用のなさにつながっている。
明確な時系列は不明だが、恐らく、3人目の子供を流産し、それによって精神を病み、アルコール中毒になった末、飲酒運転で息子マックスを危険な目に合わせた、という流れ。
その後、ケイトは薬を飲みながら回復し、アルコールをやめ、教師の仕事に復帰しようかというタイミングから、この映画のストーリーが始まっている。
養子のエスターは、ケイトの完全な回復のための、最後の一手になるはずであった。
その期待は裏切られ、エスターはせっかく回復しかけているケイトを、また病の崖に突き落とすような存在として、ケイトの生活をめちゃくちゃにする。
ケイトというキャラクターは、過去に起こした問題によって、現在の努力を正当に評価してもらえない人物として描かれている。
つまり、偏見に苦しんでいるキャラクターだ。
観客の目から見ていると、ケイトが病気を克服し、子供たちを愛する強い女性であるのは一目瞭然である。
特に、夫ジョンの無理解によるストレスからワインを買ってしまうが、寸前のところで自制心を保ち、ワインを流しに捨てるシーンによって、観客はケイトの強さに感心するはずだ。
にも関わらず、流しに捨ててしまったことで逆に飲んでいないことを証明できず、ジョンや精神科医からしたり顔で「認めないと治らないわよ」とか言われてしまう皮肉な展開に、胃がギリギリと痛い。
もっとも強さを発揮した行動が、大きな疑いの元になる、というドラマのコントラストが効いている。
ケイトのこの疎外感こそ、この映画が掻き立てる最大の感情だ。
1番信用してくれるはずのジョンが全くケイトの話を信じてくれず、子供達はエスターの正体を知っているにも関わらず、恐怖からケイトに協力してくれない。
ケイトは家族の中でひとりぼっちになり、この疎外感が胸糞悪く描かれている。
さらに、ケイトの不利な点は過去の問題だけではない。
もう1つの不利な点は、ケイトが大人であり、エスターが子供であるという社会的立場の差である。
エスターは、自分が少女であるという立場を最大限に利用して、周囲の大人たちを操る。
周囲はみんな、エスターに肩入れした状態で状況を判断する。エスターの行為は「子供だからしょうがない」と言われ、ケイトの行為は「大人として許されざる行為」として受け取られる。
例えば、エスターがケイトの大事な花を切ったのは「子供だからうっかりやってしまったんだ」と言われるが、ケイトのワインの件は、誰もケイトを庇ってくれない。
この大人と子供の責任の差もまたケイトを追い詰める。
いわばここには、誰にでも信用され可愛がられる人気者と、真面目にやっているのに誰にも認めてもらえず問題を起こした時だけ怒られる日陰者の対比が見られる。
いわば、明るい真面目くんと根暗なヤンキーに対する教師の扱いの差と同じような構図があり、それもケイトの疎外感を形成していく。
このドラマを普遍的な差別や偏見の問題と重ねて見ることは容易だ。
もちろん、観客は主人公であるケイトに感情移入しながら事の経緯を見ているので、ケイトと同じ疎外感を感じ、終始胸糞悪い感情に襲われるのだ。
エスターの苦悩(※大きなネタバレあり)
※この映画を観る気がある人は、読まない方がいいです。
どうしてエスターは、特にケイトを追い詰めるのか。
それは、実はこの映画のストーリーが、夫ジョンを巡るケイトとエスターの女の戦いを描いたものだからである。
といっても、もちろんケイトはそんなことを知る由もなく、同じく観客も、エスターの正体が分かる終盤までその事実を知ることはない。
しかし、知ってから振り返れば、「ああ、なるほど」というストーリーになっている。
盛大にネタバレするが、エスターは実は少女ではなく、33歳の女である。ある病気の症状で、子供のまま体は成長せず、しかし精神は大人であるキャラクターとして描かれている。
そして、エスターはジョンに恋をし、ケイトからジョンを奪うというのが、エスターの動機なのだ。
孤児院にケイトとジョンが訪ねた時、エスターの主観で窓から夫妻を見下ろすシーンがある。
そのシーンは、まさに好きな人を遠くから眺める乙女のような雰囲気で映し出され、窓を曇らせるエスターの吐息を、揺れるカメラでロマンチックに捉えている。
エスターの正体を知らずにこのシーンを見れば、単に孤児が養子に迎えられる期待感ゆえに興奮しているだけのように見える。しかし結末を知ってから見ると、ジョンを見ていたのだな、と分かる。
エスターは歌を歌ってジョンを部屋に惹きつけ、ジョンが立ち去ろうとすると「ハロー?」といって引き止める。そしていかにも素敵な女の子を演じ、ジョンを魅了していく(もちろん子供として)。
エスターが狙った男はジョンが初めてではなく、エスターは養子として家族を転々としては、その家族の夫を誘惑し、失敗したら家族を惨殺している、という設定になっている。
つまり、エスターは33歳になっても大人の女性として認めてもらえず、恋愛ができずにいる。失恋ばかりの人生を生きる苦悩の女性なのである。
彼女がもともと反社会的な性質を持っていたのか、それとも、彼女の苦悩が彼女の精神をおかしくしてしまったのか分からないが、エスターもまた偏見の中で強い疎外感にまみれて生きてきた女性だということが分かる。
映画序盤で、傷ついて苦しむ鳩を見て「死ぬまで痛みで苦しませず、一思いに殺すべきだ」といって石で鳩を潰すシーンがある。
あのセリフは、病のせいで大人として扱われない苦しみの中で生き続けているエスターが言っているセリフだと思うと、グッと深みが増してくる。
エスターの正体が分かるまで、エスターの残虐性や自己中心的で狡猾な振る舞いはどこか非現実的で超然とした雰囲気を漂わせる。そこはいかにもホラー映画っぽい。
しかしエスターの正体を知ると、むしろ彼女の人間らしさがひしひしと滲み出してくるのが面白い。
例えば、ケイトの日記を読んでいるシーンも、エスターが少女だと思うと、大人の弱点を知り尽くしているエスターは超然とした悪魔のような雰囲気を醸し出している。しかし33歳の女がこれをやっていると分かれば、単に性格の悪いクソ女でしかない。
そして、このエスターの性格の悪さにも関わらず、それでも彼女に同情してしまう場面も多い。
エスターは、ケイトとジョンのセックスを目撃してしまい(というか、わざと邪魔したのだと思うが)、楽しそうに男とイチャつく姿(自分の欲望の対象)を見せつけられる。それだけならまだしも、さらにケイトから「大人は愛し合うと、それをある方法でそれを表現するの」とアホらしい説明を受ける。
この場面は、エスターからすると壮絶にイラつく場面であることは想像に難くない。
自分がしたいのにできないことを見せつけられ、さらに、十分承知な事実を、バカ扱いされるかのように遠回しに説明される。これは普通の人でもイラつくよ。「ファックするんでしょ!」と悪態をつくエスターの気持ちは、多くの人がどこか共感できると思う。「知ってるわボケが!」っていう感じ。なんか人生で一度は経験したことがあるイラつく場面。
エスターは、その満たされない欲求を、自室の壁に、ジョンと自分がセックスする妄想絵を描くことで発散している。しかも、ジョンに抱かれるエスターは大人の姿で描かれている。それがまた悲しい。ここに二重の満たされない欲求(身体の成長とセックス)が描かれている。
ジョンがこの猥褻な絵を発見するシーンは、エスターの本性が暴露される恐怖感もあり、ジョンが感じる気味の悪さもあり、同時に満たされないエスターの悲しさもあって、とても凄いシーンになっている。
エスターが、「目に見えないインク」でこの絵を描いているという事実は、女性としての当たり前の欲求を果たすことができないどころか、その欲求を公に示すこともできないという、彼女の抑圧された人生をよく表している。
エスターのこの設定(体は子供、頭脳は大人)は、このストーリーを本当に興味深いものにしている。
人格が破綻したエスターの凶行はもちろん、女性としての疎外と苦悩、ストーリー上の同じ言動を2つの角度から見る事ができる二重性、エスターを取り巻く社会的関係性、ケイトへの嫉妬とジョンへの叶わぬ恋。
エスターにしても、ケイトにしても、どちらも自らが望む承認を得られずに苦しんでいるという立場は共通している。
この映画は、エスターのキャラの強さや、サスペンス性、胸糞悪い展開、エスターの衝撃の正体などで注目されがちだが、「疎外感」「偏見と差別」というテーマから見てみると、ストーリーの面白さとはまた違った視点で、興味深く観られる作品になっている。
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