概要
大学で文学を教えるジョージは、交通事故で亡くなった恋人ジムを忘れられず、色褪せた世界を生きていた。
ある日の朝、喪失感に耐えられなくなったジョージは、以前から考えていた自殺の計画を実行しようと決意する。彼はいつも通り朝支度をしながら拳銃をカバンに入れて大学へ向かう。
最後の講義を行い、大学の部屋を片付け、貸し金庫の中を空にし、拳銃の弾を購入し、遺書を書き、死装束のスーツまで自ら用意し、自殺に備えて万全の準備を整える。
だがその日、いつもより熱っぽく語ったジョージ講義に魅了された学生ケニーが、ジョージと知り合おうと接近してくる。
見る前ポイント
耽美な孤独感。美しい映像。逃れられない孤独感に苦悩する主人公。ゲイ男性の苦悩。
レビューの印象
高評価
- とにかく映像が美しい
- 主人公の喪失感がよく伝わってきた。切ないラストも良い
- 過剰さを抑え、淡々としたストーリーであるにも関わらず、飽きずに最後まで観られる
低評価
- 結末に納得できない
- 主人公と立場が違いすぎて共感できない
- 話が間延びして退屈に感じた
ナニミルレビュー
ポジティブ
まず映像が美しい。ざらついた粒状感に、感情の変化を表す彩度の演出、洗練されたファッションや小物、車、メガネ。画面の構図から、ピントをぼかしてフェードアウトしていく場面転換まで完璧に美しい。
そして、喪失感に耐えかねた男ジョージの最後の1日を描いているが、どこか淡々としている雰囲気も不思議な魅力がある。
間が抜けているわけでもないのだけど、ズーンと暗い雰囲気なわけでもない。
ただの1日が最後の1日、というトーンによって、むしろジョージの苦しみの深さが想像される。
愛する人を失った後の日々は、どの日も自殺する日と何も変わらない。絶望した日に死ぬのではなく、絶望の日々を終わらせるのだ、という歯切れの良さが、この淡々とした雰囲気に現れている。
と同時に、冷静に死に向かって準備しているからこそ巻き起こる、最後の1日の中に立ち現れる特別な瞬間の数々。
その中で揺れ動くジョージの心情が映像的に伝わってくる見心地に素晴らしい映画。
ネガティブ
ストーリーが淡々としすぎていて、退屈といえば退屈。
淡々としているところが魅力的だが、逆にいえば、ジョージが大きく感情を動かす場面も少なく、ただ大学教授が1日を過ごすだけのストーリーと言ってしまえば、そういうストーリー。
また、同性愛の苦悩や社会的な抑圧を中心に描いたストーリーでもないので、「同性愛モノ」という期待感で見ると肩透かしを食うだろう。
ジョージの孤独
愛するジムを失った喪失感に耐えられなくなった主人公ジョージが、自殺を決意した日を描くストーリーだから、当然、ジョージの喪失感や孤独感がメインで描かれた映画になっている。
ジョージの苦しさは、水に沈み込む映像で表現されている。
ジョージは大学で教えているが、教えることに満足感もなく、同僚とも気が合わない。
そして親友のチャーリーは、ジョージが唯一心を開く相手だが、そのチャーリーでさえ、ジョージのジムに対する思いを理解せず、無神経なことを言ってくる。
ジョージの孤独な現在と対比的に、ジムとの日々や、出会いが回想シーンとして描かれる。
ここで描かれるジムとの時間がとにかくロマンチック。
出会いのシーンでビールを奢ってもらう瞬間のときめきや、ただ向かい合って読書するゆっくりとした時間の幸福感は、ジョージの「ジム以外いない。いるはずがない」という絶望感を際立たせている。
悲嘆にくれる日々さえ去った、淡々とした灰色の日々。
異常に整然としたジョージの部屋が、余計にジョージの活力のなさを印象付ける。活力に溢れた子供たちが元気に遊ぶ隣の家とは対照的に、ジョージの家には生活感がない。
もう2度と手にすることができない過去に囚われながら、ただ周りに期待される振る舞いを続け、人形のように生きるジョージの孤独感が淡々とした調子で描かれている。
潔い最期が招いた希望
生きる気力を失ったジョージの最後の1日を描いたストーリーでありながら、どこか、生きることを肯定するような雰囲気のある映画でもある。
映画冒頭、朝支度をするジョージのナレーションにこういうセリフがある。
「今は単なる今じゃない。昨日から1日が経っている。去年からは1年。そしてある日、それ(死)がやって来る」
これは、愛するジムを失ったジョージが、その愛する人との日々を思い出して語っている言葉だと受け取ることもできる。
あのジムとの日々をもっと丁寧に味わっておけばよかった、という後悔の言葉に聞こえる。
だが、映画を全て見終わってからこのセリフを振り返ると、実は、これは過去に対してだけでなく、現在の今この瞬間のかけがえなさを訴えているセリフとしても受け取れる。
ジョージは、自殺に際して、丁寧に身辺整理をしていく。そのジョージの行動が、彼の最後の1日を、普段とは違うものにしていく。
1番分かりやすいのは、彼の講義である。いつものように退屈な講義で済ませることもできたが、彼は最後の講義だからこそ、孤独について、恐怖について、疎外について、自分の考えを熱弁する。
この行動が、学生ケニーの背中を押し、ケニーはジョージの人生を全く違うものにする。
ジョージとケニーは夜にバーで酒を飲む。
ケニーは疎外感に苛まれ、現在が早く過ぎて欲しいと言う。しかし、ジョージと話せた「今夜」は特別な日だと話す。
「現在が苦しいと、より良い未来も信じにくい」と話すジョニーに、ケニーは「でも結局は分からない。例えば今夜とか」と返す。
ここでケニーは人生の可能性を示している。
ジョージが言うように、苦しい現在からは、苦しみが続く未来しか想像できない。今のジョージにとっては、灰色の日々が一生続くとしか思えない。
しかし、人生には想像できない出来事が起こるものだ。ケニーの人生にとって、その日のジョージの講義は想像していないものだった。
ケニーは、周りとうまく意思疎通ができず、自分だけ世界から取り残されているようだと話す。ケニーはジョージの講義を聞いたことで、初めて自分の感覚を共有できる相手に出会えた。ずっと孤独が続くかと思われた矢先、突然救いの手が差し伸べられたのだった。
これと同じことがジョージにも起きている。
ジョージもまた、ずっと自分の孤独感なんて理解されないだろうと思って苦しんでいたら、突然目の前に同じ苦しみを感じている青年が現れた。
勝手に未来を想像して絶望したところで、ケニーの言う通り「結局は分からない」のだ。だから、早まらずに、昨日から1日が過ぎた今日を生きていくしかない。
人間は、最後は死ぬ。
そして、死ぬその日まで、結局何が起こるのか分からない。苦しみがいつまで続くのか、救いがいつやって来るのか、前向きになれるのかどうか、結局は分からない。
この映画は、その「分からなさ」こそを、生きることの前向きさに転換するようなメッセージを持った映画だと思う。
「自殺」と言うモチーフを描いていながら、暗いトーンではなく淡々としたトーンであることで、この「見方の転換」に軽やかに納得し、見終わった後、苦くも清々しい気分になれるような、不思議な魅力の映画である。
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