概要
更生施設で麻薬中毒を治療中のキムは、姉レイチェルの結婚式に出席するため、数日の間、家に帰る。家族や友人は暖かくキムを迎えるが、どこかぎこちない。また、キムも自己中心的な振る舞いでレイチェルを苛立たせる。
結婚式のリハーサルから、結婚式当日の数日を通して、家族の中に沈殿していたわだかまりが噴出する。
見る前ポイント
家族についての映画。多面的な人間関係を描いた作品。愛憎半ばの感情が描かれる。完全にスッキリとはしない、考えさせられる作品。ゆったりとした演出かつあえての素人っぽい映像。
レビューの印象
高評価
- 自分も家族の一員になってその場に居合わせたかのような空気感を感じられる
- 家族それぞれが違う悩みや苦悩を抱えており、その上で助けあったり、いがみあったりしている。「家族」の良さと厄介さを丁寧に描いている
- 安易に良いお話にせず、アンビバレントな余韻を残している
低評価
- ホームビデオ調の演出が退屈
- 明快なストーリーがなく、何を観ていいのかわからない
- 主人公を好きになれず、ストーリーに乗れない
ナニミルレビュー
ポジティブ
家族内特有の独占欲や疎外感と、そこから生じる緊張感や安心感がよく描かれている。
「結婚式」という晴れやかムードの中、キムは自分勝手な振る舞いで周囲を苛立たせる。最初こそ「せっかくのお祝いの時だから」という感じで事を荒立たせずに済ませようとする周囲が、だんだん苛立ちを募らせ、本音をぶちまけていく展開の緊張感が良い。
そして、実は疎外感を感じていたのはキムだけでなく、レイチェルもまた「よくできた姉」としての苦悩を抱えていたことが分かってくる。さらに、父と母にもそれぞれ消化できない感情があり、もしかすると子供以上に親は苦しんでいるのかもしれない、ということも想像させる。
明らかな問題を抱えているキムを中心に描きながらも、問題を抱えていない人など誰もいない、という事実を明らかにしていくストーリー。
そして、そういったうやむやな問題や感情を飲み込みながらも壊れずに繋がり続ける「家族」という関係性の不思議さや強靭さを感じさせる映画になっている。
ネガティブ
ホームビデオを模して作られた映像が苦手だったり、結婚式に伴うスピーチやダンスのシーンなどが冗長に感じられてしまうかもしれない。
とはいえ、この冗長さ、映像内で起きていることに置いていかれる退屈さこそ、キムが感じている時間の感覚なのではないかという気もする。
また、基本的に疎外感や居心地に悪さを前面に押し出した映画なので、キャラクターたち、特にキムの言動にイライラする可能性がある。
そして、なんとなく丸く収まりつつも完全なハッピーエンドではないという不完全燃焼感のあるラストにモヤモヤが残るかもしれない。
姉妹それぞれの疎外感
姉レイチェルの結婚式に参加するため、施設から一時帰宅する妹キム。
家に帰った2人は再会を喜ぶが、同時に、少しぎこちない空気も漂わせる。そこでは奔放にタバコを吸うキムと、タバコの火を心配するレイチェルのちょっとしたな攻防が発生する。
ここに、世話の焼ける妹と、それに苦労させられてきたであろう姉の関係性が垣間見える。
映画序盤は、わがままなキムと、それに振り回されるレイチェルや父が描かれる。それと同時に、家族に信用してもらえないレイチェルの疎外感も描かれている。
キムは花嫁付添人に選んでもらえておらず、リハーサルディナーでは端の席に追いやられ、父は絶えずキムを子供のように心配して干渉してくる。
ここでは一見、家族の鼻つまみ者として疎外されるキムと、そのキムに振り回される家族、という一方的な構図が存在しているように見える。
だが、リハーサルディナーのスピーチでだらだらと自分の話をしたキムに、ディナーの後、レイチェルが怒り出す。このシーンから、レイチェルもまた疎外感を感じながら生きてきたのだということが分かってくる。
この家族は問題の多いキムを中心に回っており、レイチェルはお利口な姉として十分に構ってもらえず、疎外感を感じてきた。レイチェルは「パパはキムの名前を出した時しか真面目に私の話を聞かない」といって文句を言う。
「結婚式」という、自分が主役になれるイベントでまで、キムが自分の話をし出したことにレイチェルは怒りを抑えられなかった。
キムの自己中心さは誰の目にも明らかだが、同時に、家族がキムを「問題児」という枠の中でしか見ようとしていない、というキムの苛立ちにもそれなりの説得力があるように描かれている。
例えば、キムは中毒者の自助集会で、自分の行いを真剣に反省し、「自分は神に許されない」とまで話している。そして、集会に一緒に参加しているキーランは父やレイチェルに対して「家族に会うのが1番辛いんだ」とキムの状況の困難さを説明する。
それと同時に、ケンカ中、怒るレイチェルに父が「施設から戻ったばっかりなんだから」と諭すと、「何回目よ?」とレイチェルが噛み付く。
レイチェルの視点から見れば、何度も辛い顔をするキムに優しく接してきた結果、裏切られ続けた、という経験があるのだと分かる。
この姉妹の間にあるお互いを疎外しあってしまうような関係性。
常に家族の中心だったキムが、レイチェルが中心であるべき「結婚式」というイベントとぶつかることで、争いに発展しまうさまが面白いドラマになっている。
と同時に、単に緊張が高まっていくのではなく、それが結婚式のお祝いムードとぶつかり、怒りと幸福感、楽しさと孤独感が往来するストーリーになっている。
父と母の葛藤
この姉妹の疎外感を生み出している原因は、両親にもある。
いわゆる事なかれ主義で優しい父親と、強くて成功している女性の母親。姉妹は両親を愛しながらも、両親から十分な承認を得られていないと感じているからこそ、お互いに疎外し合う関係性になってしまっている。
そして、ストーリーを通して明らかになるのは、この父と母もまた、許容できない苦しみを噛み締めながら生きているのだということだ。
少しネタバレになってしまうが、キムとレイチェルには弟がおり、キムの過失で弟を死なせてしまった過去をこの家族は共有している。
当然、当事者のキムは苦しんでいるが、両親にもまたそれぞれ、この件を消化しきれていない。
レイチェルとキムが2度目のケンカをしている時、キムは「私が弟を殺した」と言うが、父はそれを聞くたびに「殺したんじゃなくて事故だ」と仕切りに修正する。
父の視点からすれば、自分の愛する子供が、同じく愛する子供によって死んでしまったという事実は、他のどんな死よりも受け入れ難いものなのだろうと想像させる。
そして、「なぜ私に弟を任せたんだ」と母を責めるキムに対して、キムへの怒りを抑えて生きてきた母は爆発し、「あなたが弟を殺した」と言ってしまう。
キムに弟を見させたのは、弟といる間、キムが安定しているからという母のアイデアであり、母もまた、弟の死に責任を感じ続けて生きている。
向き合うことのシンドさ
この映画は、問題の多いキムと不幸な死を中心として、家族それぞれがそれぞれの苦しみや葛藤を描いている。
お互いがお互いの葛藤の元になり、そして同時に支えになりながら生きている。
そんな中で感じさせられるのは、問題に正面切って向き合うことの難しさだ。
事なかれな父は、ケンカになろうとすると「まあまあ」と言って話をおさめようとする。
レイチェルは、真剣にケンカしている最中に、突然違う話に話題を置き換えて、そこから離脱してしまう。
母は、辛い現実をグッと堪えて見ないようにし、それを見ると感情的になって、まともにコミュニケーションが取れなくなってしまう。
そしてキムは、無理解な家族に怒り、自分の行動や考えを改めるより、バカな行動に出てしまう。
それぞれにそれぞれの正しさがあり、理由や主張があり、それがお互いに絡みついている厄介さがある。
例えば、キムは母が自分に弟を任せたことに納得いかない。しかしそれは、弟の存在が不安定なキムを安定させていると考えた母のキムに対する配慮ゆえだった。しかし、結果的にそれは間違いだった。ここには、母の優しさと結果としての残酷な事実が厄介な形で絡みついている。そして、それがお互いの怒りの元になってしまっている。
この家族には、そういう厄介な問題が山積しており、これを解きほぐすのはそれ自体難しい上、家族であるがゆえの冷静になりきれない困難さも上乗せされている。
映画のラストは、この解決しきれないモヤモヤ感を残して終わっている。
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