映画

アイ・アム・レジェンド -狂気と正気が入り混じる孤独感と2つのエンディング-

概要

あるウィルスによりほとんどの人類が死滅し、生き残りのほとんどが、常人離れした身体機能と凶暴性を持つ「ダークシーカー」に変異してしまった世界。

元軍人でウィルスの研究者だったロバートは、廃墟と化したニューヨークに留まり、愛犬サムと暮らしながら、ダークシーカーを人間に戻すためのワクチンを作るため、日々研究を続けていた。

ある日、ロバートはダークシーカーの張った罠にかかってしまう。ダークシーカーは脳機能が低下していると考えられており、器用に罠を張る行為は不可解なものだった。

この罠のせいで愛犬サムを失い、憎しみに満ちたロバートは死を覚悟して、ダークシーカーたちと対決しに街に出る

みんなのレビュー

高評価

  • 1人世界に取り残された男の孤独を軸に演出をしているのが、ゾンビ物として新鮮
  • 主人公の奇妙な行動の切なさと、愛犬とのドラマに見応えがある
  • 映画前半の、廃墟と化した都市での生活描写が面白い

低評価

  • 情報が断片的で分かりにくく、回収されない謎もあって消化不良
  • ゾンビ映画としてそこまで新鮮さがなく(特に後半)、見所に欠ける
  • 別エンディングの存在を知っていると、物足りない結末に感じてしまう

ナニミルレビュー

オススメ度:B

こんな気分の時オススメ:人類がひとりしかいない荒廃した世界が観たい時。孤独に人類救出のために活動する主人公が観たい時。

良い点!

舞台設定にそこまで真新しさがあるわけではないが、前半、ロバートが孤独に生活し続けていることに焦点を当てる描写が面白く、この映画の特徴になっている。

マネキンを使って寂しさを紛らわせるロバートの姿は、痛々しくて悲しい。

人っ子一人いなくなった街の中でも、まだ世界があった頃の記憶を「再生」して正気を保っているロバート。レンタルビデオ店に通い、見終わったDVDをちゃんとアルファベット順を確認して棚に戻している。

こういう細かい描写の中に、異常な世界の中での正常さは逆に異常に見える、という皮肉が面白い。

単なるホラーやスリラーではなく、完全な孤独に陥った男のドラマとして作られている点に価値がある作品だと思う。

イマイチな点・・・

後半の展開は新鮮さにかける。だいたい想定通りにストーリーが決着していく感じで、悪くはないが、特に驚きもない。

ただ、このエンディングとは別のエンディングがあり、そちらの方がずっと衝撃的なエンディングになっているので、そちらも観ることをオススメする。

孤独に孤独と闘うロバート

他に人間がいなくなってしまったニューヨークで、愛犬だけを話し相手に3年研究を続けるロバート。

映画前半は、ロバートを襲ってくるダークシーカーの危険性を見せつつも、基本的にこのロバートの孤独感をメインで見せている。

初めは、犬に対して人間と同じようにコミュニケーションをとるロバートを見せる。それ自体は、犬好きな人ならある得るような描写だ。

しかし、ロバートがレンタルビデオ店に行くシーンで様相が変わる。店の入り口や店内にはマネキンが並べられており、ロバートはマネキンの名前を呼んで軽く会話を交わしている(交わせてはいないが)。

それだけならまだしも、ロバートはある女性マネキンをチラチラ見て、声をかけようかどうかドギマギしている。

こうして、ロバートの異常さが示される。

このシーンは、苦笑いしてしまうような居心地の悪いシーンであると同時に、ロバートの深い孤独感を想像させる悲しいシーンになっている。

さらに、話はそこで終わらない。

「なるほど、ロバートはマネキンを人間として認識することで正気を保っているのだな」と思って納得していると、ダークシーカーによってマネキンが街中に移動させられているのを見てロバートが発狂するシーンがやってくる。

このシーンがレンタルビデオ店のシーンに比べてさらに悲しいのは、ロバートが「マネキンが意思を持って動くことなどありえない」と、ちゃんと認識していると分かるからである。

マネキンが意思を持って動くはずがない。そう分かっているからこそロバートは「なんでここにいるんだ!そんなわけない!」と怒鳴って発狂している。しかし同時に、ロバートはそんなマネキンを、意思を持った人間として接して生活している。

このシーンでも、「マネキンが歩くわけない」という怒りを、そのマネキンにぶつけている。ここでロバートの言っていることとやっていることは完全に倒錯して、正気と狂気が溶け合っている。

そして、このマネキンを撃ち殺した直後、ロバートは「もしかして、ダークシーカーの罠か」と気がつく。

この正気と狂気が混じり合い、愚かさと賢さが共存するロバートの姿によって、この映画は彼の孤独の凄まじさを描いている。

公式エンディング、別エンディング

この映画には、公式エンディングと、別エンディングがある。

そういう映画はもちろん他にもあるが、この映画ほど、別エンディングの存在を引き合いに出される映画は少ないのではないかと思う。

なぜそうなっているかというと、この2つのエンディングだと、あまりにもストーリーの意味合いや映画全体のメッセージが真反対すぎるからだ。

さらに、公式エンディングでもストーリーは一応破綻なく終わってはいるが、しかし別エンディングを見てみれば、明らかに別エンディングの方に向かって全体のストーリーが進行していたのだと分かる。

そういう意味で、この公式エンディングは、真のエンディングを妨げたものとして、悪名高いのだ。

公式エンディングでは、ロバートは最後にワクチンを完成させ、自己犠牲によってそれを守り、生き残りが暮らす村へそのワクチンを届けさせることで「レジェンド」になる、という結末になっている。

つまり、ここではダークシーカーは「治療されるべきもの」として描かれており、だから、治療薬を作ったロバートはレジェンドなのだ。

では、別エンディングはどういうものだったか。

別エンディングでは、実はダークシーカーには知性も社会性もあり、ロバートを襲っていたのは、彼らの仲間を実験体として誘拐しているロバートの凶行を止めるためだった、という結末になっている。

つまりロバートという人間は、ダークシーカーの視点から見れば、たった1人で自分たちの仲間を次々に奪って殺していく悪名高き「レジェンド」だったのだ。

そして、ロバートは最後にそのことに気づいて、自分の行ってきた所業に絶望する。

別エンディングでは、ヒーローだと思っていた人物が、実は殺戮者だった、という視点の大転換がなされている。

ロバートは、知性や社会性を失ってしまったダークシーカーをワクチンによって真人間に戻そうと努力しているヒーローであった。しかし、それはダークシーカーの視点から見れば、偏見ゆえに自分たちを変異させようと試みる殺戮者(マッドサイエンティスト)だった。

たしかに、ダークシーカーは人間がウィルスによって変異してしまったという経緯を持っている。しかしその後、彼らは新しい社会を作って生活していたのだ。そこにロバートがやってきて、実験のために仲間を誘拐していく。だからダークシーカーはロバートを恐れ、殺戮をやめさせるために襲ってきた。

この結末には、己の正義を振りかざして、よその文化を否定し、暴力を振るうことに対する強い批判が含まれている。

そして、そういう相手が凶暴に振る舞うのは、こちらの暴力に対抗するためなのだ、という教訓も含んでいる。

公式エンディングに比べて、こちらの方がメッセージ性が高い。少なくとも、手垢まみれのヒーロー譚に比べて面白みがあると思う。

さらに、この結末を知ってから映画序盤、中盤を見返すと、この別エンディングのための展開が散りばめられているのが分かる。

ロバートがダークシーカーを捕獲したシーンで、別のダークシーカーが危険を冒してまで扉のところから顔を出し、憎しみの表情でロバートを睨んだことも、ロバートを捕まえた罠を作れたのも、彼らが知性を持っていることを説明する伏線だったのだと分かる。

公式エンディングでは、こういった伏線は回収されないままになってしまっている。

そして、やはりダークシーカーは人類に仇なす駆逐すべき悪者だ、という偏見を肯定する形で終わっている。

逆に、この公式エンディングを導入するために、ロバートが「蝶」のイメージから自分の運命を悟って、自己犠牲を決心するという、取ってつけたような展開になる。

この蝶は、そんなに深い意味があるわけではなく、ロバートをヒーローとして死なせるための小道具に過ぎない。

公式エンディングと別エンディング、メッセージ性も、主人公の扱いも全く反対方向だ。

別エンディングでは、ちょっとベタな設定や世界観は、衝撃の大転換のための前フリだった(ベタだからこそ、観客もロバートの偏見に違和感なく同意してしまう)。しかし公式エンディングでは、そのままベタに終わってしまっている。

この映画を観た人は、ぜひ別エンディングも観てみるべきだ。

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