映画

プレステージ -執念の復讐劇を通して描くクリエイターの業-

概要

同じマジシャンの元で助手をしていた2人の若手マジシャン、アンジャーとボーデン。ある日のショーで、ボーデンのミスによりアンジャーの妻を死なせてしまう。

アンジャーはボーデンを憎み仕返しを企てる。仕返しをされたボーデンもまたアンジャーを恨む。お互いに相手のキャリアを邪魔しながらも、2人とも一流マジシャンへと出世していく。

しかしアンジャーはボーデンが考えたある「瞬間移動」の手品のタネが分からず苛立っており、常に敗北感を感じていた。アンジャーはボーデンの助手を誘拐し、ボーデンの日誌を奪ってまでタネを知ろうと躍起になる。

ボーデンにある装置を提供したと思われる科学者テスラの元を訪ね、自分もその装置を手に入れようと画策する。

みんなのレビューまとめ

高評価

  • 悪魔に魂を売って復讐劇を繰り広げる男2人のダークなドラマが面白い
  • 「手品」と「映画」を重ね合わせて観ることができ、表現についていろいろ考えさせられる
  • 二転三転するストーリーで飽きずに観られる

低評価

  • 映画の世界観に対して、手品の種に違和感があり、いまいち乗れなかった
  • ミステリーとして粗が目立ち、ツッコミどころが多い
  • 暗いストーリーで、結末にも納得がいかず、スッキリしない

ナニミルレビュー

ポジティブ

どんでん返しの連続で面白い。

特にボーデンの手品のタネに関しては、タネを知ってからストーリーを見返すと、序盤から終盤まで満遍なくヒントが散りばめられており、終盤に近づくほど、どんどんヒントが露骨になって、真相に気付きやすくなっている点が凄い。

そして、手品に魅せられ、取り憑かれた男2人の人生の物語としても魅力があるし、負けず嫌いゆえに嫉妬深い男2人の醜い争いのドラマとしても面白い。

また、「手品」と言う行為を「現実をマイルドに演出し、真相を隠しながら、観客を楽しませる行為」として位置付けている。「映画」はまさにこれと同じ構造を持っている。ストーリーを通してこの事実を批判的に描写し、観客に突きつけているのも面白いポイントのひとつ。

ネガティブ

ストーリーを追っていくのがやや大変。

とはいえ、基本的には、ボーデンの逮捕された「現在」、アンジャーがテスラを訪ねている「過去」、アンジャーとボーデンがキャリアを積んでいる「そのさらに過去」の3つの時間軸で動いており、それを理解していれば、そこまではちゃめちゃな構成ではない

この執念の物語を描くために、いくつか無理のある展開がある点も気になる。

そもそも、ボーデンの死刑判決があまりにも説得力がないことや、ランダムに選ばれている観客の中からお互いが選ばれていること、あれだけ大掛かりなアンジャーの仕掛けをアンジャー以外の人間(特にカッター)から隠せる根拠が「盲目の人を雇って働かせているから」という一点で説明されていることなど。

良く解釈すれば、何度も変装して潜入していれば1度くらい選ばれるだろう、とか、細心の注意を払えばうまく装置の秘密を隠せるのだろう、とか、無理に納得することはできるのだけど、素直に見ていると、やっぱり設定に無理があるよなぁ、という印象は拭えない。

時系列の組み替えによるストーリーテリング

ストーリーはまず、アンジャーが死に、ボーデンが裁判にかけられる、という事実を観客に伝えるところから始まる。

そこから過去に遡り、アンジャーとボーデンの執念に燃える関係を描きながら2人のドラマが進行し、だんだんとこの「殺人事件」が起こった日へ迫っていく。

時間は3つに別れて進行する。
・ボーデンが裁判にかけられ、独房の中でアンジャーの日誌を読む「現在」
・そのアンジャーの日誌に書かれている、テスラにある装置を貰うまでの日々を描く「過去」
・そして、2人の出会いから、アンジャーがテスラを訪ねるためアメリカに旅立つまでを描く「過去のさらに過去」

アンジャーとボーデンが決別するきっかけとなった水槽が、アンジャーが死んだシーンでも出てくることで、この2点を繋ぐ物語として、2人の過去が描かれていく。

そして、映画のラストでは過去が現在に追いつき、そこからさらに、ある事実が開示されていく。

その事実を知って初めて、2点の間で描かれていた2人の物語の顛末が理解できるようなストーリー構成になっている。

最後の最後まで観客の理解をひっくり返し続ける見事な展開の連続が素晴らしい。

夢と執念

この2人のマジシャンのドラマは、ちょっと奇妙である。

2人のいがみ合いは、ボーデンのミスでアンジャーの妻が死んでしまったことから始まる。

この時点では、これは純粋に愛する者を失ったアンジャーによる復讐心である。

しかし同時に、アンジャーはマジシャンとしてボーデンに勝てないという敗北感も同時に感じている。そこから生じているのは、アンジャーの競争心である。

さらに、マジシャンとして成功し、妻と子供を手に入れて幸せそうに暮らしているボーデンを見て、アンジャーが抱くのは嫉妬と羨望である。

復讐心から始まった2人のドラマは、愛と名声と幸せを求める感情がごちゃ混ぜになったような展開を見せており、そこがストーリーを複雑で面白くしている。

これは単純な復讐劇ではない。

妻を死なせた男を憎みながら、しかし、相手の手品に感心し、それを超えて1番のマジシャンになりたいと望む男の、こんがらがった物語になっている。

と同時に、そのアンジャーが恨み、羨み、追い求めている男も実は、その最高の手品によって苦しみ、愛する者を失い、最後にはアンジャーに追い抜かれ、苦悩する。

この映画では、過去に対する執着と、未来の名声に対する渇望に、今を引き裂かれる男2人の物語が描かれている。

「観客」に叩きつけられる批判

この映画のラストは、「観客は本当のことを知りたがらず、騙されたがっている」というナレーションで終わる。

これは、手品を見る観客のことを指すと同時に、当然、この映画を観ている観客のことも指している。

これらの文言をどのように解釈するかは観客に委ねられているだろう。

 

例えば、観客は、作り手が、裏でどれだけ苦労しているかなど気に留めもせず、ただその時間を楽しんで、さっさとショーを忘れて日常に戻っていくことに対する落胆を述べているのかもしれない。

しかし同時に、アンジャーは「観客を騙すあの一瞬こそ、最大の喜びだ」という風なセリフを語っている。

騙される観客を批判しつつ、しかし騙すことこそ最大の喜びだという、作り手のアンビバレントな雰囲気が、この映画のラストには溢れている。

 

またテスラとアンジャーの会話で、「世間は急な変化を望まず、それを行うと退場させられる」とテスラが語る。

これは「急進的な表現は大衆には認められない」という作り手の愚痴だろう。

さらに、アンジャーに装置を渡す際、テスラは、「非凡や驚異は科学の世界では認められないが、君の世界では歓迎されるだろう」と手紙に書き残す。

ここで「科学」とは「現実」であり、「手品」は「フィクション」を指している。

つまり、大衆が「現実ではない、タネのあるフィクションの世界だ」という態度で受け取る場所であれば、普通は世間に認められないものも認められるのだ、とテスラは語っている。

 

これらは当然、「手品」を「映画」に置き換えても理解可能な議論になっている。

「もし観客がステージ上で起こっていることが本当だと思っていたら、助手の胴体を切ったりする様子を安心して見られるわけがないだろう」とアンジャーが語るシーンがある。

本当の殺人映像なんて見たがるのは物好きだけだろうが、バンバン人が死ぬアクション映画はみんな喜んで見たがる。

そのままではストレートに現実を受け入れられない大衆を前に、フィクションというクッションを入れることで、新しい現実を見せつけることができる。

しかしそこで隠される真実がある。その「隠される真実」を象徴しているのが、アンジャーが「瞬間移動」をする度に劇場から運ばれる水槽である。

観客が安心して見られるように、作り手は真実を隠す。暴力シーンを楽しく描くアクション映画では、流血や死の苦しみが隠されるように。

 

観客の態度は基本的に「騙されたい」ということであって、「真実を知りたい」ということではない。その悔しさがラストシーンのナレーションなのではないだろうか。

映画冒頭でボーデンは語る。「同じプロを騙せてこそプロのマジシャンだ」と。

ボーデンとアンジャーは、騙されようとしてマジックショーを見ていない。彼らはプロとして、「真実」を見抜く努力をしながらマジックショーを見ている。

呑気にマジックを楽しむ観客と、マジックの真相を覗き込もうとして、悲劇に朽ちていく主人公たち。

マジシャンと観客、映画と観客、作り手と受け手、その温度差。

そして、作り手の苦悩。その苦悩を飲み込んで観客を騙すことに喜びを感じ、生計を立てる作り手の業。

しかし、「たまには作り手の抱えるこの「真実」に思いを馳せてくれ」と言わんばかりのラスト。

メインストーリーの面白さもさることながら、このマジシャンたちの苦悩に映画制作者たちの思い込めているところもこの映画の面白さだ。

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