概要
作家のジェシーは、9年前、旅の途中で偶然であったフランス人女性セリーヌとの1日をベースにした小説を書き、そのトークイベントでフランスの書店に来ていた。
そこで、9年ぶりにセリーヌと再会する。2人は再会を喜び、ジェシーの飛行機の時間までパリの街を歩きながら旧交を温める。
小説の話、お互いの仕事の話、家族や恋人の話、価値観や人生観について語り合う2人。
飛行機の時間を気にするセリーヌをよそに、ジェシーはセリーヌと少しでも長くいようと、結局彼女の部屋まで来るまで送り届ける。
レビューの印象
高評価
- 9年ぶりに再開した2人が、ただ話しているだけなのにロマンチックで、退屈することなく最後まで観られる
- ストーリーの進行と共に、だんだんと打ち解けていく2人を、会話や微妙な仕草のみで描いているのがすごい
- とにかく終わり方が好き
低評価
- 会話しかない映画であり、その会話も特別面白くない
- シリーズ前作のピュアな感じがなく、後日談としてガッカリ
- 関係性に劇的な進展がなく、物足りない
ナニミルレビュー
ポジティブ
前作で描かれる若かった2人から9年が経ち、社会的地位やそれぞれの生活を手にした2人。それでもお互いに忘れられない過去としてくすぶる2人の微妙な距離感が面白い。
この映画単体で観ても楽しめるかも知れないが、やっぱり前作を観ていた方がいいだろう。
前作では、2人とも浮足立ってぎこちない感じだが、その中にトキメキや情熱が見え隠れする若者の危なっかしさが光っていた。本作では、お互いに成長し、相手の出方を見つつ、いなしたり、上手く笑ってごまかしたりするスキルを身につけている。
さらに、お互いにどういう気持ちかを探りながらも、一方的にクラッシュしないような、大人らしい慎重さが2人の間の微妙な壁として終始存在している。
だが、そんな壁を超えて、時々どちらかの本心が漏れ、それに呼応するように相手も本心を漏らし、だんだんとお互いに対する気持ちを確認し合う2人。この器用なのか不器用なのかよく分からない駆け引きが面白い。
ネガティブ
前作同様だが、ストーリーはないので、会話が退屈に感じてしまうと、多分見ていられない。
前作はまだ、列車を降りるかどうかの交渉とか、どこでキスするかとか、セックスするかとか、そういう山場が一応あったが、本作はそれもないので、前作以上に会話だけ、という構成になっている。
2人の変化
やはり、前作と見比べながら、本作を観てしまう。
そうすると、2人の考え方の変化や、この微妙な関係性に対する対処の仕方の変化が、この映画の見ドコロになるだろう。
例えば、前作で結婚することより何かを成し遂げることの方が重要に感じると語っていたジェシーは、結婚し、さらに作家として成功している。彼はある意味では両方をやり遂げたわけだけど、実は全然満たされていない。
ある意味で言えばジェシーは変わっているし、ある意味では変わっていない。
彼にとっては、やはり結婚生活はあまり充実感のあるものではなかった。彼は結婚を、「責任を取ってそれを貫くこと」という風に捉え直して結婚する。
これは、「何かを成し遂げたい」という彼の気持ちを結婚に向けるためのレトリックではある。けれど、やっぱりそこには無理があって、結局、妻を愛せていないことにモヤモヤしている。
彼は9年前よりずっと柔軟に現実を捉えるすべを身に着けているが、結局本性の部分はあまり変わっていない。
9年前のジェシーは何か大きなことを成し遂げたいという漠然とした野望を持っていたが、そもそも本作のジェシーは「今」を生きることが重要だと話している。
例えばセリーヌは、前作では、自分は結婚して相手に冷めてしまうような人間ではないと豪語していたが、今では彼女は恋愛自体に懲りてしまっている。
さらに、結婚生活に情熱がなくなってしまったジェシーの話を聞いて、結婚後も、結婚する前のような情熱を持ち続けることの方が異常だ、という意見を言う。
これは、前作で語られた彼女の意見とは全然違っている。
一方で、別れてきた恋人たちの細かい部分を覚え、大事に思っている彼女は、確かに正しい相手に出逢えば、冷めない情熱を持ち続けられる人なのかも知れない、と思わせる。
そういう意味で、彼女の恋愛に対する見方は変わったが、彼女の本性は変わっていない。
そして、社会問題に興味を持っているのは同じだが、9年前と違って現場で働いているセレーヌ。
セレーヌは大きな理想よりも日々の小さな積み重ねが大事だと悟る。そして意外なのは、運命の話になった時、彼女が「物事はなるようにしかならない」と話したことだ。
そして、9年前は何でもロマンチックに考えていたセレーヌが、ノートルダム寺院の素敵な逸話をジェシーが話した後、「でもまたそのうち新しい違う寺院に変わるだろう。ノートルダム寺院の前は違う教会が建っていたし」とやや夢のないことを言ったりする。
セレーヌがさまざまな現実を経験し、9年前より現実的になった様子が伺える。
2人の会話を通して、9年前と変わったところ、変わっていないところ。表面的には変わったけど根っこは変わっていないところ。表面は同じだけど言っている重みが違うところ。
そういう2人の変化を追っていくのが、この映画を見る楽しみのひとつなのは間違いない。
愛について
この映画のストーリーは、あけすけに言ってしまえば、妻を愛せる可能性がないと悟ったジェシーが、どうにかセレーヌとの恋を再燃させようとするストーリーだ。
セレーヌがジェシーの飛行機の時間を気にして何度も別れようとするのに対し、ジェシーは執拗に別れるのを拒み、結局はセレーヌの部屋まで行ってしまう。
セレーヌもセレーヌで、数々の失恋に疲れ、恋愛に失望しながらも、「もしかしたら正しい相手に巡り会えていないだけかもしれない」という可能性をジェシーに託したい気持ちが見え隠れする。
前作が、希望に満ちた若者の開かれた可能性を描いたロマンスだとすれば、本作はいろいろな経験をし、消去法で残った可能性を描いたロマンスという感じだ。
消去法で残った可能性なんて、とてもしょぼくれた雰囲気があるが、実はそうじゃない。むしろ、「もうこの人しか自分に愛の情熱を思い出させてくれる人はいない」という強い気持ちがそこにはあって、これはこれでロマンチックなのだ。
数多ある可能性の中から奇跡的に出会う2人もいいが、年月を経て必然になった2人もまたいいのだ。
会話の中でも、9年前にした約束や、実は同じタイミングでニューヨークに住んでいたことなど、過ぎてしまった可能性がしばしば話題に上がり、その度に2人は過去の可能性にやきもきしている。
この消去法のロマンスの緊張感は、前作の若者のロマンスとは力点が違っている。
前作が、自意識と勢いと恥じらいのせめぎあいだったとすれば、本作はお互いに守るものがあり、それを押して情熱に身を預ける決心のつかないもどかしさだ。
恐らく2人が決心を決めれば、9年前とは比べ物にならないくらいこのロマンスはスームズに進むだろう。しかし問題は、9年前と違い、社会的にも内面的にも、2人が多くの障害物を抱えているということだ。
そこで、お互いに何となく甘噛しつつ、ちょっと下世話な話を話してみたり、ボディタッチしてみたり、理想の愛について話したりしながら、相手の出方を伺っている。
9年前のことについてお互いに運命を感じつつも、その運命に巻き戻そうとするジェシーと、過去にこだわるのに疲れたセレーヌは、なんだかんだで気持ちを一致させることができない。
お互いがお互いに、自分の人生を最高にする可能性を感じながら、しかし、過去にしがみつくような行為であることは自覚していて、そこに踏み切れない感じ。
どちらかが強く言えば事が進みそうなのに、お互い外堀を固めるばかりで確信に行かない。2人とも冗談で話をはぐらかすのが上手くなって、真剣なところに踏み込めない。
大人になって器用になってしまったからこそ、不器用に遠回りしてしまう2人のもどかしさが上手く描かれた良い映画になっている。