概要
デュード(本名はジェフリー・リボウスキ)は、同姓同名の富豪と勘違いされ、借金取りに襲われたことで、富豪リボウスキと知り合う。
後日、リボウスキから電話がかかり、彼の妻バニーが誘拐され、その身代金受け渡し役を引き受けてくれと頼まれる。慢性的に金欠のデュードは、楽な仕事だと引き受けるが、友人ウォルターに振り回され受け渡しは失敗。さらに何者かに身代金を盗まれてしまう。
それに加えて、デュードはリボウスキの娘モードにも襲われる。彼女は身代金はリボウスキではなく財団の金だと言い、犯人に払わず財団に返すようにデュードに頼む。
気づくとデュードには常に尾行がつき、バニーが出演したポルノ映画のプロデューサーにもバニーを探し出すように要求される。
こうしてデュードは、この誘拐事件をきっかけに、多くの利害関係者の思惑が交錯する面倒ごとの中で翻弄されていく。
レビューの印象
高評価
- ダメダメで癖のあるキャラクターたちが魅力的。掛け合いも笑えて、かつ、脱力して観られる気楽さがある
- 物事に囚われずテキトーに暮らす主人公に勇気をもらえる
- シュールでよく分からないストーリーなのに、なぜか面白い
低評価
- 展開が不可解で緊張感もなく興味が持続しない
- キャラクターの癖が強すぎて、誰にも共感できない
ナニミルレビュー
良い点!
全ての映画的展開を脱臼させていくような、イタズラ心満点のストーリーが痛快。
冒頭のいかにもなナレーションから始まり、すごい人物かと期待させたデュードは、ただ事件に巻き込まれて右往左往しているだけであり、執拗に描かれているボウリングも事件とは関係なく、ジーサスという超キャラの濃い男もストーリーに何も関わってこない。
メインで描かれるのは誘拐事件。次々現れる利害関係者。深まる謎。しかし、最後まで観てみれば、謎は解けるものの、それはあまりにもショボく、そんなショボい敵との戦いで、まさかの悲しい展開。
ドラマ的展開を、最も間抜けに描ききるにはどうすれば良いのか、という問いを突き詰めたかのような映画。
ラストでデュードが「ベトナムなんか何の関係があるんだ!」とキレるシーンがあるが、この映画を観終わった観客は、この映画の中で起こったいろいろなことを思い返して「あれは何の関係があったんだ!」とキレたくなるだろう。
ベタな展開を逆手にとって、全てを外していくような映画。にも関わらず、ちゃんと面白いのが本当に不思議。主人公がツッコミ役に徹している、凄いドタバタコメディ。
イマイチな点・・・
全てを外していくような映画なので、テーマ不在というか、「で、結局なんだったの・・・」と脱力するストーリーであることには間違いない。
この映画は、真面目にストーリーを追うとガッカリするタイプの映画だ。
しかし、いわゆる「ストーリーは大味だけどギャグとかアクションが面白い映画」ではなく、むしろ「徹底された不真面目さこそが面白い映画」と言えると思う。
なので、B級映画の楽しさともまた違う、かなり稀有な名作だろうけど、だからこそ、つまらない人にとってはつまらないだろうと思う。
デュードの非主人公性
この映画の冒頭は、渋いおじさんのナレーションで始まる。まるで伝説の男を紹介するような調子で、映画の主人公「デュード」を紹介する。
そして、デュードの初登場シーンでも、スーパーで陳列されている牛乳を開け、その場で飲むという、変人な行動が描かれ、「あ、この人ちょっと凄そう」と思わせる。しかし同時に、そのあと超少額の小切手をレジで書いている、というギャグが挟まっている。
この冒頭シーンが、この映画の雰囲気を物語っている。そう、この映画は、常にハッタリで観客を期待させ、その期待を間抜けな方法で裏切り続ける映画なのだ。
デュードは間違いなくこの映画の主人公である。映画はデュードの視点で進んでいく。
しかしデュードは、ほぼ常に周囲に振り回されているだけの傍観者である。
富豪リボウスキの妻バニーが誘拐され、デュードはその身代金受け渡し役を頼まれ引き受ける。ここまでは主人公らしい展開だ。
しかし、そこに友人のウォルターが割り込み、彼の勝手で事件が泥沼化してしまう。デュードはここで全く主導権を握れず、映画最初の見せ場であるこの受け渡し場面で、シーンの中心にいるのはウォルターである。
その後も、誘拐事件の展開において、騒動を巻き起こすのはだいたいウォルターであり、デュードは、その迷惑を1番に被る可哀想な脇役的立ち位置にいる。
そして、このウォルターが巻き起こす騒動も、主人公らしくデュードの力で解決されるわけでもなく、騒動は何となく収まっていく。(例えば、ボウリング場でウォルターが銃を出したシーン。警察は来るが、2人はスルーされ、騒動はうやむやになる)
唯一、デュードが活躍するかと思わせるシーンとして、ポルノプロデューサー宅でのシーンがある。
プロデューサが電話を受けながら何かをメモし、デュードは知恵を使ってそのメモが何だったかを突き止める。しかし、そこには男性器の落書きがしてあるだけ。これは、観客もろともデュードを小馬鹿にするギャグになっている。
映画のラストでは、リボウスキの娘モードの話を聞いて、デュードは自分が嵌められたことを理解する。ここからデュードの反撃が始まるか、と期待させる。
しかし、その事実を突きつけにリボウスキの元に行くと、すでに誘拐されたバニーは戻ってきており、デュードの到着を待たずして、勝手に誘拐事件は解決している。
さらに、悪役のリボウスキも、退治しようにも彼は身体障がい者であり、コテンパンにやっつけるわけにもいかない、という消化不良な展開になっている。
とにかくデュードはウォルターに振り回され、デュードのする捜査は全く役に立たず、黒幕に気づいた頃には事件が解決している。
このデュードの非主人公性。
これこそが、この映画の最大のコメディである。
デュードのキャラクター自体は、主人公でも申し分のないかなり良いキャラなのである。懐も深くて、人に襲われても動じないタフさがあり、周りからの人望も厚い。にも関わらずダメ人間で、失業中。観客がたまらず好きになってしまうようなキャラクターだ。
この超良いキャラクター設定を用意しながら、そんなデュードを全然活躍させない。これこそが、この映画最大のギャグなのだ。
繰り返されるハッタリ
コーエン兄弟は、この映画の前に撮った映画『ファーゴ』の冒頭で、「事実に基づくストーリー」という完全な大嘘をつくというギャグをやっている。
この映画では、カウボーイ風の信頼できそうなおじさんのナレーションを使って、それとほぼ同じことをしている。『ファーゴ』よりも分かりやすく、そして明らかなギャグとしてやっている。
このカウボーイおじさんは映画中盤に登場し、そこで「人間は時にクマを食うが、クマに食われることもある」という全く何の意味もない名言を引用する。
ここには2つのポイントがある。
1つは、いかにも信頼できそうな人物がこれを言っているということ。もう1つは、これが「賢い男が言っていた」という言葉に続く引用であること。この2つの形式によって、この名言はいかにも重要で中身のある言葉のように響く。しかし、冷静に考えれば全く中身がないことは一目瞭然だ。
形式だけあって中身がない、というこの名言シーンは、この『ビッグ・リボウスキ』という映画をまさに象徴している。
この映画は、この映画の前に撮った『ファーゴ』で数々の賞を受賞したコーエン兄弟が作った映画だ。つまり、いかにも信頼できそうな人物が監督をしている映画なのだ。
その上、ナレーションから始まる古風な冒頭シーンや、デュードの境遇やキャラクター。誘拐事件に大富豪と若妻。錯綜する多くのキャラクターたちの思惑など、物語によく使われる、いかにも面白そうな要素がひしめき合っている。つまり、多くの手法的引用が用いられている。
だから、映画としての体裁はかなりしっかりしている。しかし、よーく見れば見るほど、ストーリーの中身は実は空っぽなのだ。
主人公は葛藤する間もなく振り回されるだけで、事件は解決される間もなく解消されてしまう。
映画のラストは、友人の死によって、いかにも感動的な展開になる。
しかしこの死も、犯人との戦いの末に銃弾を受けたのかと思いきや、持病の心臓発作という外しっぷりである。(しかも、これだけ濃いキャラクターを散々登場させておきながら、死ぬのは一番影の薄いキャラクター)
そして、葬儀でだらだらと長いスピーチをするのは、やはりデュードではなくウォルターで、デュードがキレる通り、このスピーチにも中身がない。
本当に、最後の最後まで、それっぽい映画的展開を用意して、でも中身は空っぽ、というストーリーをひたすら続けていく映画である。
でも、ちゃんと笑えるし、ちゃんと面白いし、ちゃんとキャラクターの魅力に魅了される映画でもある。
ハッタリなんだけど、ハッタリが凄すぎる。ハッタリに騙されてびっくりするんじゃなくて、ハッタリだと気付きながら、そのハッタリの精巧さに心底ビックリする。
こういう映画はなかなかない。本当に傑作だ。
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